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2009.02.16

世界は、創造的に壊れているか?

 昨年は、社会・環境・経済において、世界中のあらゆる地域で、さまざまな悪いニュースが飛び交った一年だった。チベットやインド、イスラエルでの紛争・テロ。イエメンやソマリア、ハイチなどで発生した食料品価格の高騰による暴動・デモ。地球温暖化が引き起こしたと思われる異常気象による豪雨被害・ハリケーンの発生。そして、最後はサブプライムローンに端を発した一連の金融危機・経済不況など、100年、200年という単位で歴史的に見てみれば、まだまだ平和な方だと言えるのだが、目下、解決されるべき悪材料は山積している状況だ。

 幸い「世界の平和度」ランキングで5位である、この日本で生活している我々にとっては、紛争・テロ、暴動・デモのリアリティは薄いが、金融危機・経済不況となると、相次ぐ企業の倒産や雇用調整など、"明日は我が身"とばかりにニュースに釘付けにさせられる(「世界の平和度」= Global Peace Index 2008:the Economist Intelligence Unit)。また、地球温暖化の問題は、金融危機・経済不況の影に隠れつつあるようにも見えるが、かつて定められた京都議定書のゴールである2012年も差し迫る中、世界の二酸化炭素排出量の80%を占めている主要16カ国が結集し、2050年をターゲットとしたチャレンジングな目標を掲げたり、先日、オバマ政権がグリーン・ニューディール政策を打ち出したりするなど、その火はまだ、消えていない。

 かつて、ヨーゼフ・シュンペーター(オーストリア出身の経済学者)が “創造的破壊(古いものが、新しいものに破壊され、進化していくこと)”という概念を唱えたが、世界規模で起こっているこれらの危機的な問題は、人類が進化する過程に見られる“創造的破壊”なのだろうか。

 1988年にアメリカ上院の公聴会において「最近の異常気象、とりわけ暑い気象が、地球温暖化と関係していることは99%の確率で正しい」という発言があったことを契機に、研究が盛んになり問題として一般に広まりだしたのが、地球温暖化の問題である。今では、日本で生活していても、日本がもはや亜熱帯化しているということを肌身で感じ取れるようになってきている。人類の産業活動に伴って排出されてきた温室効果ガスが、地球温暖化の主たる原因であり、これを放置することは、異常気象の増加、海水面の上昇、生態系の変化を引き起こし、ひいては人類の生活や生命までも脅かすことになる。そのことは、今や誰しもが深刻な問題と認識している。

 2005年のデータによると、二酸化炭素排出量のトップはアメリカで、年間58.2億トン、ついで中国(50.6億トン)、EU(39.8億トン)、ロシア(5.7億トン)、そして5番目に日本(4.5億トン)となっている。これらの国々を含む、二酸化炭素排出量の80%を占める主要16カ国が協調し、2007年にスタートさせた会議体が、「主要経済国会合(発足当時の名称は、主要排出国会合)」だ。地球規模の温暖化という問題に、世界各国が歩調を合わせてこれにあたるという構図なのだが、2050年をゴールとした二酸化炭素排出の削減目標値がかなり高いということと、かつてアメリカが「京都議定書」から、いとも簡単に脱退してしまったという過去もあり、アメリカが最後までやり切るかは非常に不安だ。おもに二酸化炭素を排出している国を集めて解決にあたるので、効率的・効果的だろうというコンセプトでスタートしているので排出量において№1国家であるアメリカが途中で抜けると言い出すと一気に失速することになる。そういった意味で、“もろさ”をはらんだものでもある。

 地球温暖化という問題に対して、政策的なアプローチで解決を図ろうというこれらの動きとは別に、まだ実現には至っていないが、面白いアプローチがある。科学・技術の分野からのアプローチである。地球環境学の学者たちは、解決の方法を、地球の中だけでは考えていなかった。彼らには、いくつかの革新的なアイデアがあるのだが、その中で、もっともユニークなのは、太陽と地球との間のある軌道に、太陽光を遮る”日よけ”を設置するというもので、それにより地球全体に降り注ぐ太陽光の量を調整し、二酸化炭素の増加による温暖化の影響を相殺しようという、まるでSFの世界の話とも思えるものだ。このアイデアは、まだ膨大なシミュレーションを行う必要があることと、実行のためのコストが非常に高いということからも、現時点では政策的なアプローチのほうが現実的だと考えるが、研究が進めば2050年を待たずして最適なアプローチへと昇格することだろう。

 今、人類の目の前には、非常に大きな問題が、沢山ある。目下、大きな問題で、早急に対策を打つべきは、金融危機・経済不況だろう。経済という概念は、人類が作り上げ、人類に豊かさを与えてきた素晴らしい文明であるのだが、皮肉にも現在は人類が、これに振り回されてしまっている状況だ。経済は、地球温暖化のときの二酸化炭素のように簡単に計測できるものではないし、経済は、複雑に利害が絡み合っているもので、実態と本質を捉えることが非常に難しい。現在の暴走した経済を鎮めるための革新的な解決策は見当たらず、いつか収束される日を待っているのが実情だ。最後にどのような焼け野原が広がっているのかは、まるで想像がついていない。

 一連の経済危機のトリガーを引いたアメリカでは、総額8,880億ドルの景気対策法案の中に、アメリカ製品の購入を義務付けるという「バイ・アメリカン」条項が盛り込まれ、アメリカの貿易相手国などからの反発を招いている。これは、利己的な考え方で、「京都議定書」から脱退した当時のアメリカと変わっていない。100年に一度といわれるこのような有事にこそ、世界をまとめ、リーダーシップを発揮するのがアメリカではなかったのか。このまま利己的な考え方がすすめば、いつかまた戦争がビジネスの道具(利権争いや軍事産業の活性化など)として扱われることになるのではと、考えずにはいられない。各国が、今まさに流れ出ている血を止める止血策に走るのは、ある意味当然のことだが、同時にさまざまなアプローチで根本解決の方向性を探るべきだ。根本の解決を怠れば、同様の危機が、再発するのは目に見えている。

 アメリカ発の金融システムの問題を見逃してきたベン・バーナンキやティモシー・ガイトナーは、かつての日本の危機を見てきた人たちである。日本の犯した失敗を繰り返しただけでなく、さらに大きな規模で犯してしまった。歴史から学び、金融システムを進化させられなかったことが問題の本質なのかもしれない。

 この数年間、世界中で起きているさまざまな危機は、人類の進化にとって必要な痛みであり、社会・環境・経済が発展する過程に起こった創造的破壊であったと、未来に笑えるようになっていたいものだ。

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