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2025.02.03

常識を疑え

 昨日2月3日は『節分の日』。毎年、この節分が終わると、街は一気にバレンタイン商戦一色になり、ポスターや広告CMが増える。バレンタインに向けて、毎年チョコレートを買う習慣のある人は、そろそろ贈る相手と購入先案をリストアップし、予算を決める頃だろう。松屋銀座のアンケート調査[i]によると、2025年のバレンタインチョコの予算は、総額(平均)14,868円で、回答者の最高額はなんと250,000円だという。誰のために買うのかというと、自分用が64.1%(前年+1.9%)でトップとなり、次いで本命用が52.1%(前年▲5.0%)、友チョコ25.7%(前年▲0.3%)、義理チョコ24.2%(前年▲1.8%)と、自分のために買う人が最も多いことが意外で、“なんとなくの習慣”が時代と共に変化していることが再認識された。

 さて、バレンタインデーの過ごし方は、世界各国さまざまで、アメリカ・フランス・イタリア・ベルギーなどでは、男性から女性に贈り物をするのが主流で、日本のように女性から男性にチョコレートを贈ることや自分用に購入することは、海外では一般的ではなく、日本特有の習慣として定着している。

 バレンタインデーの起源を調べてみると、バレンタインは、ローマ帝国時代に皇帝に背いたことで処刑されたキリスト教司祭である聖ヴァレンティヌスを祭る日だとされる。そして、ヴァレンチヌス司祭の勇気ある行動に感動した、後世の人々によって、「聖バレンタイン」を“恋人の守護神”としてまつるようになった。さらにその後、14世紀頃から「バレンタインデー」として、恋愛に結びつけられるイベントがスタートしたといわれる。

 日本のバレンタイン習慣は、洋菓子店の創業者がチョコレートを贈ることを提唱したことから始まり、デパートのバレンタインセールと、製菓会社のキャンペーンが後押しして「女性が男性にチョコレートを贈る」習慣が定着したといわれる。つまり、製菓会社のマーケティング戦略の結果だということだ。節分は健康や厄除けの意味合いが強いのに対し、バレンタインは商業的要素が色濃く、人間関係や経済活動の一環として機能している。チョコレートを貰った後には、ホワイトデーの習慣もあり、「何かお返しをしなければ」という心理的な負担を感じる人もいる。

 

 私たちの生活に定着している習慣の中で、バレンタインのように「なんとなく受け入れている常識」に囚われていることはないのか考えてみたい。バレンタインのような習慣は、誰かの経済活動や利益追求の中で作られ、知らず知らずのうちに「常識」として受け入れられている。だが、その「常識」は本当に必要なのか、誰もが楽しめるものなのか、一度立ち止まって考えるべきではないだろうか。そうすると、私たちの周りには、疑問を持つべき「常識」がまだまだ多く存在すると気がつくことだろう。常識を疑う次の3つの視点を持ち、日頃の生活スタイルや習慣と照らして考えてみたい。

 

① 特定の立場や業界にとって都合が良いもの
 バレンタインやホワイトデーが代表するように、特定業種のマーケティング戦略から生まれた習慣は、必ずしもみんなの幸福のためにあるわけではない。他にも、クリスマスケーキとチキン、ハロウィンの仮装・イベント、ボージョレ・ヌーヴォー解禁日、福袋などは、消費を促すために作られたものが多く、「昔からの伝統」ではないことが意外と多い。商業的要素が強いものでも、個人が価値を感じているなら積極的に楽しんでもよい。ただし、無理に義務感を感じたり、過剰な負担になったりする場合は、本当に自分にとって必要か考える余地があるだろう。

 

② 過去は必要だった習慣やルールが現代では形骸化しているもの
 終身雇用や年功序列といった「日本型雇用」は、かつては合理的だったが、現代の多様な働き方には必ずしも適していない。他にも、冠婚葬祭の形式的な習慣は、地域社会との結びつきが強かった時代には、コミュニティの一員であることを示す重要な儀式だった。謝罪会見文化は日本での「責任の取り方」として公の場で謝罪が求められた。現代では、パフォーマンス的な行動よりも、本人の意志や意向が伴った実効性ある行動が求められるようになり、価値観やライフスタイルの変化によって、形骸化しているものがある。本当に今の時代に合っているのか?と考えることで、より自由で効率的な生き方に繋がることだろう。
 

③ 同調圧力や自分本位な考え方によって継続しているもの
 本来エスカレーターは、2列になって止まって乗るのが正しい利用方法だが、何となく止まる側と歩く側とに分かれる。これは、急ぎたい人からのプレッシャーを受けること、“みんながやっているから”という理由で、暗黙のルールになっている。他にも、スーツやネクタイの着用、年賀状や中元/歳暮、お土産、形式的な“とりあえず”の挨拶やメールなどがある。それらは、「義務感や見栄のため」「相手から良く思われたい/悪く思われたくない」「変えるのが面倒なので続ける」といったことから、余計な負担になっていると考える。自分にとって本当に価値のあることなのかを見直すことで、心の自由や経済的な余力が生まれることに繋がることだろう。

 

 最後に、これらの視点を持つことで、私たちは「なんとなく受け入れていた常識」を見直し、自分にとって本当に大切なものを選び取ることができるだろう。「みんながやっているから」「昔からそうだから」という理由だけで、何かを続けていないか、改めて見つめ直すきっかけにしたい。

 改めて「常識」とは何かを考えてみると、多くの人が当たり前と考え、無意識のうちに受け容れている価値観や行動のルールを指す。常識は意思決定の負担を軽減する役割もあるが、そのまま受け入れ続けることで、知らず知らずのうちに不必要な習慣を維持し、精神的・経済的な負担になっている場合もある。時代や価値観の変化に合わせて定期的に“何となく受け入れている常識”から解放される機会を持ってみてはどうだろうか。

 

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[i] 株式会社松屋調査結果より(https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000142.000067027.html)

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