2025.02.17
日本における“リスキリング”の未来
皆さんはYouTubeをよく見るだろうか。私は、社会人のルーティンや勉強のVlogを見ることが多い。ポジティブに自己投資・自己研鑽されている動画投稿者本人の様子を自分に重ねてみたり、その姿から仕事へのモチベーションを高めたりしている。先日、私が楽しみでよく拝見するとあるチャンネルに新年一発目の動画が投稿された。その動画は「読書」がテーマであり、その投稿者の読んだ本、読書の進め方が分かりやすく説明されていた。また、学習したことが仕事で活かせる喜びについても動画内で語られていた。そんな時ふと、社会人の学習という点で最近注目されている「リスキリング」というキーワードが頭に思い浮かんだ。
ここ数年「リスキリング」がHR業界でも注目され、政府・日本企業の取り組みがメディアで取り上げられることが多くなってきた。ただ、リスキリングという言葉だけが先行し、その解釈は人によって異なってしまっているのではないだろうか。リスキリングとはどういう意味なのか、使われてきた背景、そして日本企業はどう取り組むべきかを考えてみたいと思う。
リスキリングという言葉の基になっている「リスキル」は、「(新しい)スキルを再習得させる」という他動詞として一般的に用いられる。そのため、主語は「組織」、動詞が「リスキル」、目的語が「従業員」となり、「組織が従業員にスキルを再習得させる」という意味である。日本では、リスキリングという言葉に対して「学び直し」という誤った和訳が付記されたことで、海外でリスキリングが定着した経緯とは異なる意味合いで広まってしまったと述べている専門家もいる。リスキリングは、単なる個人の学び直しではなく、企業が経営戦略の一環として社員に新しいスキルを学んでもらい、新しい仕事に移ってもらうことだと説明される。よく似た言葉でアップスキリング(日本でいうスキルアップ)という言葉があるが、これはこれまでの業務の延長線で学んだスキルをアップデートすることである。
リスキリングが海外で注目され、定着したのは労働者の「技術的失業」を防ぐためであるとされている。世界経済フォーラムが2023年5月に発表した雇用予測では、今後5年間で新しいテクノロジーやグリーン分野における6,900万件の新規雇用創出に対して、自動化等の影響から8,300万件の雇用消失が見込まれているとされていた。こうした「技術的失業」に備えるには、消失していく業務から成長分野への労働移動を実現させることが重要で、その解決策の1つとしてリスキリングが世界中で注目されているのである。企業にとっては、生き残るうえでも人材力がますます求められるようになってきている。成長産業への転換が求められている中で、経営戦略と事業戦略の実現と人材育成を連動させていくことが重要だと感じる。
日本企業のリスキリングの取り組みは、まだまだ福利厚生の一環としてオンライン学習講座を従業員に提供するに留まっているケースが多いと言われている。そもそも日本企業は、職場でリスキリングするということが歴史的には浸透してこなかった。日本企業の学びの基本はOJT(オン・ザ・ジョブトレーニング)であり、職場で仕事を先輩に教えてもらいながらスキルを身に着けていくことが主流であった。つまり、職場で既存の仕事から学ぶことが中心で、新しいことを学び、かつ学びを活かして今の仕事ではない別の仕事に就くような仕組みは主流ではなかった。「職場での仕事から学ぶこと」を通して能力を向上させることが、企業の業績に寄与していた時代はよかったが、現在は、グローバル化やIoT・AIなどのデジタル化の進展、技術革新による商品や技術力の陳腐化など経営環境を取り巻く環境が高度化・複雑化し続けている。そして、獲得すべきスキルも変わってきている。例えば、銀行業界。新型コロナウィルスの感染拡大によりIT化が一層進み、インターネットバンキングが拡大し、窓口業務は縮小。ベテラン行員の異動が余儀なくされ、その異動先の業務としては投資信託などの販売が多くなっている。これまでは、預金の入出金や振り込みなどに関わっていた従業員が、富裕層等を相手に顧客との対話を通じた、問題把握とソリューション提示が必要とされてきている。このように、新しいビジネスモデルへの転換の中で、過去培ったスキルが通用しなくなることがより多くの人にとって身近になっているのである。
「日本、さらには日本企業がリスキリングにどう取り組むか」をドイツの事例を基に考えていきたい。ドイツは古くから、伝統的に、徒弟制度が有効に機能していた。学校で学んだ理論と企業での実習を組み合わせて行う「デュアルシステム」という職業訓練制度がある。この制度は、義務教育修了者や大学入学資格取得者を対象に、企業での実践的な訓練と、後期中等教育にあたる職業学校での教育を並行して行う。近年、産業構造の大転換の中で伝統的な職業教育では対応できなくなってきた。また、この制度を利用して働き始めたものの、就職後に教育機会を得る人材は少なく、古いスキルに甘んじてしまうという課題が浮き彫りになってきた。そこでドイツでは、連邦政府主導の下、州政府や地方の行政機関、労働組合、NPO、企業などが協力しリスキリングを推進している。その一環として多様なステークホルダーの関わりにより2019年に職業訓練の国家技術能力戦略が策定された。その戦略では、「職業訓練へのアクセス数を上げること」、「学習の時間確保」が柱に据えられた。そんな政府主導の戦略を踏まえた取り組みを2つ紹介したい。
1つ目は州の雇用保険庁の施策である。この保険庁では、雇用主と個人に対してリスキリングの提案を進めている。今後、機械化・自動化されるような職種について、雇用主や社員に失業リスクを伝え、リスキリングの機会を提案している。また、勤務時間であっても社員が職業訓練を受けられるように雇用主を説得することもあるとのことだ。2つ目は、多様な産業の労働者で組織された製造業の労働組合の施策である。この組合では、各企業の職業訓練プログラムや、教育訓練資金の分配方法のコンサルティングや、企業内で職業訓練を担うメンバーの育成に取り組んでいる。雇用保険庁は失業者の支援、労働組合は労働条件の交渉といった主の役割とは別にリスキリングの施策にも力を入れ始めているのである。
ドイツ企業の取り組みとしては、「ロバート・ボッシュ(以下、ボッシュ)」の事例を紹介したい。ボッシュでは、従業員一人ひとりが自ら学ぶ「ラーニングリーダー」になることで、その集団である「ラーニングカンパニー」をつくることを目指している。教育には2026年までの10年間で、20億ユーロを投じる計画があり、世界40万人の全社員がリスキリングの対象となる。世界7カ所に独自の「ボッシュ・トレーニングセンター」を設立し、提供しているプログラムは、年間200講座・400セッションにもおよぶ。職場ごとに必要な専門知識、技術を明文化し、社員が自らキャリアプランを描き、希望部署に合うコースを選べるようになっている。トレーニングセンターの社員は、「ラーニングコンサルタント」としての役割を担い、各事業部や子会社が必要としている研修や学習へのコンサルテーションを行う。また職場では、上司と部下の面談の際に、『今年はこの研修を受けて、この能力を身に着けてほしい』と上司から提案したり、部下から『この研修を受けて、スキルや知識を身に着けたい』と希望を伝えたりしている。こうして、会社として、部署として個人の学びへの意欲を高めている。さらに、充実した研修ラインナップだけでなく、研修と並行して新旧の職場に通う仕組みがあり、旧職場の仕事をこなしつつ、学んだ技術や知見を新職場で実践して着実に身に着ける仕組みも構築されている。自社のリスキリングプログラムで学んだ95%がジョブチェンジを果たしており、リスキリングの成果も出ている。従業員一人ひとりが自ら学ぶ「ラーニングリーダー」になるという指針は、創業者のロバート・ボッシュが、発明家のトーマス・エジソン氏と仕事をした際に、『本人が、自らモチベーションを持って学ぶからこそ、知識やノウハウが身につく』と強く実感したことから始まっているという。学びの文化は創業者から受け継がれているのである。
ドイツのように、国が企業へ、企業が職場・社員へ新しいスキルを習得する必要性を伝えたり、学習へのモチベーションを高めたりしつつ、必要な支援をしていく「学習の連動」を日本でも実現することが理想だと感じるが、まだ道半ばであると感じる。日本政府は、25年度はリスキリングに向けた支援として、雇用保険に加入している労働者が資格取得などのために会社を休んで講座を受ける際、休職期間中の生活費を支援する制度を新たに設けた。また、ハローワークが提供する公的職業訓練でデジタル人材を育成するための費用も確保している。果たして日本企業が成長・存続していくためのリスキリング施策として効果があるだろうか。ドイツのように、各行政機関で役割分担し、企業と対話しながらリスキリングを進めていくことが必要だと感じる。まずは、国の成長分野に対して企業がどの程度リスキリングを推進しているのか、どのような効果が出ているのか、課題は何かを見える化することが重要だと考える。また、日本企業としては、成長事業への転換が求められる中で、どのように必要なスキルを身に着けた人材を確保するのかを検討し、その手段の1つとしてリスキリングに一層向き合っていくべきである。ドイツのボッシュのような戦略的な学習機会を設けられている企業は少ないと感じる。現状は日常の仕事で学ぶOJTが主流である中で、新しいスキルを学んだ上で、ジョブチェンジすることへの浸透には時間がかかるだろう。リスキリングを促進するために、事業戦略に紐づいた必要な人材像とスキルの明確化をしていくことが第一歩ではないだろうか。さらに学習の風土をつくる上では、配置転換前に学習のための時間(助走期間)を確保することが重要である。
「学んだことを業務で実践するようにしているが、自分がそんな環境にいれることに感謝したい。」
冒頭紹介したYouTube動画はそんな言葉で締めくくられていた。リスキリングが重要視されている時代だからこそ、学びが個人の仕事に紐づき、それがやりがいとなって、さらに学習する、そんな学習のサイクルを回すビジネスパーソンを増やしていくためにできることをこれからも考えていきたい。
Pinova
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参考:労働力不足社会vol.3 リスキリング先進国 そのビジョンと現在地(機関誌Works 2023年08月発行)/リクルートワークス研究所