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2023.01.23

恩送り

 先日、妻の父が亡くなった。享年76歳であったが、毎日のように友人と遊び、毎月趣味の旅行に行っていたことを鑑みると、その生涯は幸せであったように思う。そのような義父(ちち)であったが、葬儀では思いもよらない義父の一面を知る機会となった。葬儀は、参列者で溢れ、会場の外まで埋め尽くす花、そしてメモリアル写真や動画が流れるなど、これまで経験したことのない、盛大かつ賑やかな素晴らしい式であった。

 

 義父の人柄を表すと、“義理人情派、行動派、リーダー気質”の人間であったが、参列者からは「義父のおかげで今がある」とか、「義父には感謝しかない」といった温かい声をかけて頂き、中には義父の定年退職後のアルバイト先の若い従業員達がこぞって涙を流している光景を目の当たりにして、“こんなにも人望があったのか”と驚きを隠せなかった。

 

 その人望は、義父の人徳からきたものであることに疑いの余地はなく、筆者自身、亡くなった後にまで義父の薫陶を受けていると実感した瞬間であった。“7つの習慣”の著者スティーブン・コビー氏が提唱している、「終わりを思い描くことから始める」という言葉を借りると、「自身が亡くなった時に、このような温かい葬儀をして頂けるようになりたい、そのために、義父のような生き方を1つのモデルにしたい」と思ったのであった。

 

 翻って、昨今企業ではコンプライアンス違反や不祥事などが取り沙汰されているが、そのほとんどは、引き起こした人物の能力的な問題ではなく、人間性の問題に起因するように思える。(もちろんそれ以外の要因もある)インテグリティ*¹や人間力向上などの研修プログラムを取り入れる企業が増えていることからも、多くの企業を悩ませる切実な課題であるように思う。

 

 では、どのように人間性を磨いていくとよいのだろうか。多くの参列者との話を通して感じたことや、葬儀の最中に義父が気づかせてくれたと思うことから、人間性の磨き方について忘れないうちにしたためておくこととする。

                           

 まず、言葉を定義しておきたい。人間性といっても様々な定義があるが、ここでは、「本能、経験、価値観、性格、言動などを包含した人間の心理的な性質」と解釈する。一方、人徳は、「社会通念上良いとされている人間が持つ品性や気質」である。このように見てみると、本能、経験、価値観、性格、言動において社会から良いとされる“徳”を積んでいくことは、人間性を磨いていくことにつながると考えられる。

 

 因みに、先人は、徳の積み方をどのように考えていたのだろうか。例えば、儒教では、“仁 義 礼 智 信”という5つの徳目を説いている。簡単に述べると、仁は「人を思いやること」、義は「私欲にとらわれず、なすべきことをすること」、礼は「仁を具体的な行動に表すこと」、智は「道理を良く理解していること」、信は「誠実であること」だそうだ。

 

 義父のエピソードを聞くと、義父は困った人がいるとすぐに手を差し伸べていたそうだ。例えば、食事中に偶然知り合い、経営がうまくいっていない人の話を聞くと、翌日には仕事を見つけてきてその人に紹介していたようだ。損得に関係なく、面倒見の良い性分であり、人が喜ぶことを自然とやってのけるところが、義父の人徳につながっていたのであろう。

 

 自身を振り返ってみると、自分の成長やメリットを主眼において、顧客のためにとか、仲間への貢献が大事などと謳っていることが恥ずかしくなる。人間性を磨こうとするのであれば、私欲をできる限り抑え、関わる人に喜んでもらいたいといった利他性を持てているかを自問自答し続けることが必要なのではないか。

 

 実は、義父の死を通して、生きていることへの喜びや感謝の気持ちを再認識できたのだが、他人を大切にする思いやりの心を持つには、自分を大切にすることから始めるとよいと思えた。命の有難さを意識するからこそ、自分を大切にでき、相手の立場から物事を考えられるようになり、利他の心が膨らんで、他人を大切にできるようになる。人間性を磨く第一歩は、自分を大切にして、能力を磨き、他人を喜ばせることに懸命になることであるように思える。「仁、義、信」を「礼」として行動に表す大事さを痛感したのであった。

 

 次に、私が見ていた義父は、義父のほんの一面にしか過ぎないということに気がついた。メモリアル動画で流れていた義父の顔は、家族の前で見せるものとは別で、少年の様に純真無垢で楽しんでいた。仕事では、会社メンバーの誕生日を覚えて、誕生日の時は何らかの声掛けをするなど、気配りの塊のような人物であったそうだ。

 

 義父の新たな一面を垣間見ることで、義父のことを深く知れた喜びだけでなく、同時に、その一面を引き出しきれなかった、つまり義父のことを知ろうとしていなかった自身への後悔も芽生えたのであった。

 

 人間は自分の都合で、自身の見たい側面だけを見ている。“群盲象を評す”*²という寓話があるが、様々な人の意見を融合して、単一の視点だけでなく、多角的な視点で物事全体を理解しようと努力することが重要なのではないか。相手のことを知っているという傲りを捨て、他人を完全に理解することは難しいという謙虚さを持ちながらも、相手を理解し続けようともがく中で、人間性は磨かれるように思える。この点から、物事の道理である「智」と道理を「礼」として行動に表す大事さを、義父から教わったように感じた。

 

 このようなことを考えていたのだが、“仁 義 礼 智 信”は、徳を積んで、人間性を磨くためのフレームワークであり、義父そのものであるように思えた。興味深いことに、亡き祖父の家の床の間に飾ってあった掛け軸に記されていたのが、この言葉であったことを思い出した。何かの縁を感じざるを得ない。

 

 生前、年明けにした電話での挨拶が義父との最後の会話となった。「もうすぐ77歳と喜寿になる。そろそろ出世払いとして盛大に祝ってくれ」と笑いながら話していた。その計画を立てている矢先の旅立ちであった。義父への恩返しはできなかった。

 

 “恩返し”という言葉に対して“恩送り”という言葉がある。親切にしてもらったら、その人に恩を返すのではなく、他の人に返すという意味である。義父から与えてもらった恩やこの機会に気づかされた考え方を、自身が生きていく上で関わる人に与えていきながら、人間性を磨き続けることこそ、義父への最大の恩返しであるように思う。

 

U2

 

*¹ インテグリティ:「誠実」「真摯」「高潔」などの概念を意味する言葉

*² 群盲象を評す :多くの盲人が象を撫(な)でて、自分の手に触れた部分だけで象について意見を

言うことから、凡人は大人物(大事業)の一部しか理解できないというたとえ

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