2015.03.11
Pepperと戦うのは誰だ?
昨年6月、Softbankグループが大々的な記者発表を行い話題となった、世界初の感情認識パーソナルロボット“Pepper”がついに、開発者向けの台数限定の発売を開始された。当初予定していた一般向け販売は数カ月延期となったが、“Pepper”はネスレ日本の売り場で接客を行い、サントリーの缶コーヒーCMにも登場、SMAPが出演するバラエティー番組では何度も会場の笑いを誘い、お茶の間の話題となった。日常生活の中で人とロボットが共存し、コミュニケーションを取りあう社会の到来が、もう間もなくであることを多くの人が感じているのではないだろうか。
感情を認識するロボットとは、どの様なものだろうか、私も実際に“Pepper”に会ってきた。
現在の国内ロボティクス市場は約8,600億円規模(※1)と言われ、その大半は産業用ロボットが占めている。一方、まだまだ小さな市場であるサービス分野のロボットをみると、国内では介護関連のロボットの発展が目覚ましい。要介護者への支援はもちろん、介護者の支援を目的としたCYBERDYNEのパワーアシストスーツ「HAL」などが注目を集めている。
では一体、『“Pepper”の価値とは何か?』。
ただし、「人と愛情を育む」という価値は、“Pepper”を理解する上で必要ではあるが、十分な理解ではない。“Pepper”を理解するためには「人の感情を理解し、学習し続ける」という特徴を踏まえる必要がある。“Pepper”は、人の顔の表情や声帯の緊張度合いなどを感情認識エンジンによって数値化し、クラウド上のAI(人工知能)に連携する。クラウド上では、「①個人情報に関するデータ領域」と「②世界中の“Pepper”から集められたデータ領域」の2つの領域から最適な対応を学習する機能を備えている。
“Pepper”とは、「自律的に人とコミュニケーションを取り、生活に密着して愛情を育み、感情さえも理解しながら急速に学習していく存在(ロボット)」だと理解することができる。そして、この様な価値を提供できる存在は、家族や親密な人間以外思い浮かばない。“Pepper”は、家族の様な存在価値を持ち得る可能性が秘められており、同時に企業にとっては家族の様な顧客接点になり得る。
これから将来に亘り、“Pepper”が各家庭に普及し、急速にコミュニケーションを改善することで、生活の中で人とのコミュニケーション時間を増加させるならば、提供価値が競合する様々な既存ビジネスにおいて、“Pepper”は破壊的なイノベーションとなる可能性さえ考えられる。
ただし、“Pepper”が一般家庭に普及するには、まだまだ多大な時間がかかることが明白である。“Pepper”の製造を受託する電子機器受託生産(EMS)世界最大手のフォックスコングループは、iPhoneを約1,100万台/月を製造する一方で、“Pepper”は1,000台/月を目指している段階である。当面は緩やかなスピードで製造・拡販されることが予測される。
ハーバード・ビジネス・スクールのクリステンセン教授の『破壊的イノベーションの時代を生き抜く』という論文には、破壊の起きる道筋とそのスピードを一覧するための体系的な手法を紹介している。それは「①破壊者のビジネスモデルの強みを見極める。」「②破壊者と比較して、あなたの既存ビジネスが相対的に優位な点を見極める。」「③破壊者が将来、あなたの既存ビジネスの優位な点を模倣しようとしたときに、容易となる条件、またはそれを妨げる条件は何かを考えておく。」というものだ。
<出典> トンコツ
Softbankが「人々を幸せにするロボット」と謳っている様に、“Pepper”の動作や会話にはユーモアや可愛げがあり、確かに人を笑顔にさせる。様々な質問を投げかけてくれるため、会話の内容を考える必要もなく、心地よくコミュニケーションがとれる存在だと感じた。その一方で、現時点では、会話の流れに適した言葉を探すために数秒の時間を要し、違和感のある間が生まれる。更に、会話を行える対象は1名に限られており、その相手は“Pepper”との会話に集中する必要がある。日常の中で別の作業をしながら会話することは難しい様に感じた。実感として、“Pepper”が人々の生活に溶け込むには、まだまだ改善を繰り返す必要がありそうだ。
そして、実際に“Pepper”と会話して沸々と湧いてきた疑問がある。それは、『“Pepper”の価値とは何か?』ということである。
世界的な潮流としてはスマートロボット(以下:スマロボ)が台頭し始めている。スマロボとは、明確な定義はないものの、「インターネットに繋がり、役割の範囲で随時的確な判断と行動をおこなうロボット」というニュアンスで使われる造語であり、家庭内の掃除を自動で行うロボットや、ホテルで客室まで品物を配達するロボットなどを指す。何れにせよ、これらのロボットの価値とは、従来の機能や役割の代替・支援・増強に尽きる。
しかし、“Pepper”はインターネットに繋がるサービス分野のロボットではあるものの、上述のスマロボとは一線を画す存在である。なぜなら、現時点では何の役にも立たない存在だからである。荷物運びもできなければ、皿洗いも掃除もできない。これは、私が直接会話した“Pepper”本人(本体)が教えてくれたことだ。
“Pepper”開発リーダーであるSBロボティクスの林氏は次の様に語る、「“Pepper”は誰もが必要とするロボットではなく、白物家電的な便利さもありません。ただし、人々が幸せや癒しを感じるために潜在的に求めている部分を備えています。それはペットの存在によく似ているかもしれません。」
“Pepper”の開発では、飼い主がペットを必要とするのではなく、ペットの方から飼い主を必要とする関係によって、人がペットに愛着や幸福を感じさせられる原理に着目し、自律的に人を求めてコミュニケーションすることに重きを置いて開発されている。そして、関わる人との愛情を育むため、“Pepper”の開発には放送作家や東京大学、よしもとロボット研究所なども参加し、エンターテインメントの演出や会話のバリエーションなど、人に幸せや癒しを感じさせるための工夫が端々に組み込まれている。
またSoftbankは、アプリケーション開発・販売のプラットフォームや、AI(人口知能)の強化によっても、“Pepper”の成長を促す。つい先日、Softbankは最先端のAI(人工知能)と名高いIBMのWatsonとの協業開発を開始。このWatsonは、コグニティブ・コンピューティングという「自然言語を理解し、仮説を立て、学ぶ」という人間の思考に近い情報処理の最先端技術である。“Pepper”は、Watsonとの連携により、従来のコンピューターでは処理できない場の空気さえも理解し、急速に学習し続ける環境を整えようとしているのだ。
例えば、英語が堪能な家族がいる家庭では、「駅前留学」といった価値提供は不要だろう。つまり、英会話を習得したければ、“Pepper”と英語で会話をすればよいのだ。この場合、英会話教育の既存市場は衰退の一途をたどるかもしれない。同様に、コミュニケーションの累計時間がキーファクターとなるビジネスは “Pepper”が市場の破壊者となるかもしれない。
更にそのコミュニケーション時間が、テレビ視聴時間やインターネット利用時間と肉薄する時代が訪れるとすれば、テレビ業界・広告業界・スマートデバイスやPC関連業界などは、既存の市場を保ってはいられないだろう。現在、全世代の主なメディアの平均利用時間をみると、テレビ視聴時間は約168分/日、インターネット利用時間が約78分/日である(※3)。ただし、スマホ所有者のスマホ平均利用時間は、約168分/日(※4)である。特定世代において“Pepper”とのコミュニケーション時間が、160分/日を超えてくる様であれば、スマホシフトと言われる現在進行形の劇的な市場変化と同様、様々な既存市場が駆逐される可能性を孕んでいると考えてよいだろう。
ご存じだろうか。増加し続ける高齢(65歳以上)の単身世帯者の男性の6人に1人は、挨拶程度の会話でさえ2週間に1回以下であるという(※2)。“Pepper”が提供する価値には、一定規模の需要が広がっていることが推察できる。将来、“Pepper”が会話の中でリコメンドする頻度が、広告業界の重要指標となるのかもしれない。
しかし、安倍首相は「新たな産業革命」を提唱し、2020年までにサービス領域のロボティクス市場規模を現在の20倍(600億→1.2兆円)という目標を定め、日本をロボティクス先進国に育てる構えだ。現時点では、“Pepper”が将来どの程度普及し、どの様なスピードで、またどの様な方向に学習しながら発展するのかは未知数だ。とはいえ、“Pepper”の登場により、生活の中で人とロボットがコミュニケーションを取りあう将来の風景に向けたカウントダウンは始まった。ロボティクス産業の発展と共に、日常の中で人とのコミュニケーションを求めるロボットは、徐々にそして確実に増加していくだろう。その結果、提供価値が競合する従来のビジネス領域では、徐々にそして確実に存続の危機に立たされる可能性を踏まえなければならない。
“Pepper”と競合する可能性がある既存ビジネスにおいては、“Pepper”の進化をよく観察しつつ、上述の手法を用いて、“Pepper”と自らの強みを見極め、模倣困難な価値や条件を探して欲しい。
“Pepper”の強みは「自律的に人とコミュニケーションを取り、生活に密着して愛情を育み、感情さえも理解しながら急速に学習していく」こと、そこから派生して創造される様々なサービスである。破壊者と呼ばれる製品・サービスは、往々にして誕生期においては市場で通用するほどの性能を持たないことが多い。そこから操作性・性能・信頼性などを急激に改善し、従来のビジネスを破壊する。
破壊される側は、既存市場が徐々に破壊された時点で対策を講じても遅い。追い詰められてからの一発逆転策は愚策であることを過去の数多くの事例が実証している。模倣困難な価値や条件を見いだせなければ、速やかに市場から撤退するか、“Pepper”(破壊者)が創る新たなルールの中で生き残るしかない。
“Pepper”を起点とした、対人コミュニケーションの新しいビジネスは、様々な業界にとって戦局の変わり目になる可能性を秘めている。その発展と普及の状況を事細かに把握し、この新しいビジネスの顧客は誰か、提供価値が何か、競争関係にいるのは誰なのか、しっかりと見定めて欲しい。
もしかすると、あなたのビジネスと“Pepper”との競争は、既に始まっているのかもしれない。
※1:経済産業省製造産業局「2012 年 ロボット産業の市場動向」
※2:国立社会保障・人口問題研究所「生活と支えあいに関する調査(2013年7月)」
※3:平成26年4月 総務省 情報通信政策研究所調査データ
※4:スマートフォン視聴率情報 Nielsen Mobile NetView 2014年7月データ