2015.03.04
取り調べの可視化と司法取引の制度化は、検察組織の闇を照らすのか
平成27年1月26日に、第189回通常国会が開催されて、約1ヶ月が経過した。通常国会は150日の長丁場であり、その中で来期の国家予算を初めとする重要法案が決定されていく。今回の通常国会では、シリアで起きたISILによる日本人殺害を受けて、「シリアにおける邦人へのテロ行為に対する非難決議案」が真っ先に決議された他、身近なところでは民法、労働基準法、道路交通法などの改正、安倍総理の肝いりの一つである農協改革を目指す農業協同組合法等の改正が検討される見込みなど、社会的にも注目を集めている議案が多い国会だろう。にもかかわらず、相変わらずの政治とカネ問題で、国会審議・委員会審議がヤジの応酬になっているのは情けない限りである。そんなヤジ合戦の中でも審議は進み、最終的には決議され、会期通りに国会が終わると粛々と、立法府からバトンを受けた行政府が運営していくのだから、不思議というか、ある意味この国の頼もしいところかもしれない。
さて、前述の通り予算以外にも、重要法案がたくさんあるのだが、その中の1つである刑事訴訟法の改正案に注目したい。普通に生活している分には、お世話になる機会が少ないはずの刑事訴訟法なので、あまりピンと来る人は少ないかもしれないが、今回大きな改正が検討されようとしている。それが、「取り調べの可視化」と「司法取引の制度化」の2つである(他にも改正される点はあるが、大きな変更としてこの2つを挙げる)。
この改正案は、2010年9月に発覚した「大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件(※)」を受けて、適正な取り調べと冤罪の防止を大目的として発足した法制度審議会の特別部会によって決定され、法務省に提言されたものである。
※詳細は割愛するが、「大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件」とは、「障害者郵便制度悪用事件」において検察が立てた仮説(筋書き)通りに、事件を解決するために、証拠及び証言をねつ造し、当時の厚生労働省局長・村木厚子さんを逮捕、起訴した事件である。この事件の顛末は、世間が知っている通り村木さんは無罪となり、逆に検察の元主任検事、元特捜部長、元特捜部副部長が逮捕され、それぞれ有罪が確定することとなった。この公判の過程では、検察による証拠・証言のねつ造や約450日間に及ぶ村木さんに自白を迫る執拗な取り調べが明らかになった。
「取り調べの可視化」は、密室で行われる取り調べによって被疑者が虚偽の自白を強要され、その虚偽の自白によって冤罪を被ることがないよう、冤罪防止を目的としたものである。具体的には、取り調べの様子をDVDなどで記録した上で、公判において、取り調べに問題がなかったかどうか、被疑者の自白や供述は信用できるものかどうか、といったことを判断するための証拠として扱われるものである。
他方、「司法取引の制度化」の「司法取引」は、米国の映画やTVドラマでご存じの方も多いだろう。検察に対して、被疑者が他の犯罪・被疑者に関する証言をしたり、自身の犯罪を認めたりする代りに、刑罰を軽減、免れるというものだ。物語の世界では、小悪党が司法取引でボスの逮捕を可能しうる証言や情報提供をすることで、ボスが捕まり小悪党は良心的な市民に戻る、といった具合だ。
日本で導入が検討されている「司法取引」も、大筋は似たようなものである。現在、検討されているものは、
1)犯罪事実の解明による刑の減軽制度
被疑者が自分の犯罪事実を証明する重要な事実情報を提供することで、検察側の証明に協力した場合に刑が減軽される
2)捜査・公判協力型の協議・合意制度
被疑者が、他の犯罪者の犯罪事実を申告した場合に、起訴を見送る
3)刑事免責制度
証人に対して、証言した内容に関して刑事責任を追及しない代わりに、公判で証言させる といったものである。
この制度を活用することで、振り込め詐欺といった組織的な犯罪、談合や贈収賄といった密行性の高い犯罪において、組織の手先ではなく、犯罪組織の解明や首謀者の逮捕に繋がることが期待される。
これだけ見ると、確かに良いことばかりのようだ。しかし、今回の法制審議会の特別部会は、村木さんが被害者となった「大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件」が契機で発足したものであり、目的は冤罪の防止、取り調べの適正化であったはずである。今回の改正は、本当に冤罪防止、取り調べの適正化に繋がっているのだろうか。内容を、さらによく見ていくと、必ずしもそうではないことが分かる。
「取り調べの可視化」は、殺人や傷害致死、放火といった裁判員裁判の対象となる事件と検察が独自に捜査する事件に限定されており、これは刑事裁判全体の約3%に過ぎない。つまり、ここ最近で起きたパソコン遠隔操作で無罪の人が虚偽の自白をした事件などは対象外となり、さらに殺人事件の犯人として逮捕することを狙いとして、まず死体遺棄などで逮捕した場合なども対象外となってしまう。これでは、およそ「取り調べの可視化」には、ほど遠いと言わざるを得ない。
一方、「司法取引の制度化」についても、贈収賄や横領といった汚職事件、振り込め詐欺や薬物・銃器に関わる組織犯罪などに限定されているものの、「取り調べの可視化」に比べると範囲は広い。また、注意すべきは、この「司法取引の制度化」が、今回の特別部会で検討された理由は、検察側が、取り調べが可視化されることで被疑者が供述をしにくくなり、組織犯罪や贈収賄などの犯罪の解明が阻害されると主張し、捜査権限・捜査手法を拡大するために強く求めたのが「司法取引の制度化」だった。(なお、司法取引の制度は、以前から検察が導入を主張していたものであり、今回初めて主張されたものではない)
だが、「取り調べが可視化されることで被疑者が供述をしにくくなり、組織犯罪や贈収賄などの犯罪の解明が阻害される」ことが、司法取引を制度化する根拠だったはずが、実際には「取り調べの可視化」の対象となる事件では「司法取引」の対象となることが非常に少ないことが分かる。つまり、冤罪防止や取り調べの適正化を目的とした特別部会を利用して、捜査権限・捜査手法の拡大がなされたと言わざるを得ない。(なお、今回は通信傍受法なども改正され、捜査権限の拡大に寄与している)
司法取引そのものに断固反対だ、ということを言おうとは思わない。事実、振り込め詐欺など犯罪が組織化、多様化され、組織の末端は逮捕されても首謀者が捕まらず、犯罪撲滅に至らないという事例はある。全ての犯罪は必ず解決されるべきであり、犯罪者はすべからく逮捕されることを期待しており、そのために必要な捜査権限・捜査手法であれば、導入されて然るべきだと考えている。 しかし、今回は異なる目的で発足した特別部会の場を利用して、長年検察側が主張していた捜査権限・捜査手法の拡大がなされたことは、本当に正しい検討プロセスだったかどうかは疑念が残る。何しろ、「司法取引の制度化」は、冤罪の防止や取り調べの適正化を実現するどころか、新たな冤罪を生む可能性をはらんでいる。
例えば、発端となった村木さんが逮捕された「障害者郵便制度悪用事件」で司法取引が行われていたら、村木さんは絶対に逮捕されなかっただろうか?決してそうではないだろう。「障害者郵便制度悪用事件」では、そもそも証拠が改ざんされている上、村木さんの関係者の証言もねつ造されている。証拠の改ざんには直接的な効果はなく、証言のねつ造も司法取引の名の下、証言内容は罪に問わない、他者の犯罪に関する証言をすれば起訴しないといったことを合法的にちらつかされたら虚偽の証言がされ、より確かな証拠として扱われた可能性も否定できない。
自らの失態によって発足した法制審議会・特別部会の場を利用して、以前から求めていた司法取引や通信傍受の拡大を得た検察は、さすがにただでは転ばないといったところだ。だが、感心してばかりいるわけにもいかない。もし、今回の改正で、冤罪防止や取り調べの適正化を追求するのであれば、「取り調べの可視化」は対象事件を選ぶべきではなく、また外国の事例のように取り調べに弁護士の立会いなども検討すべきだある。また、「司法取引の制度化」についても、司法取引をする為には被疑者の弁護士の同意が必要とされているものの、検察側の思惑通りの証言を集めるために使われないように、取り調べの可視化と組み合わせ、司法取引の供述が虚偽の供述ではないことを後から検証できる仕組みや、そもそも司法取引が検察による供述の強要とならないよう司法取引に至った経緯も証跡として残し、被疑者や証人が精神的に過度に追い詰められた末に出た供述ではないことを明らかにするといったことが必要だろう。実際、検討された「取り調べの可視化」も、死体遺棄では可視化されず殺人に切り替わってから可視化されるという中途半端な状態なのは、前述の通りだ。
だが今回、何よりも問題なのは、「大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件」では、証拠を改ざんし、関係者の証言をねつ造し、是が非でも局長クラス(村木さん)を逮捕、起訴することを目的とした、検察内部の組織・人の“闇”の部分を解明し、解決することに焦点が当たらずに、捜査権限・捜査手法の見直しだけが行われていることにある。「大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件」の公判において、元主任検事は、上司の特捜部長から政治家は無理でも局長までは立件することが使命だと求められていたことなども明らかになっている。法制審議会は、検察内部の組織・人の“闇”を解明するための組織ではないことは分かっているが、この“闇”が解決されなければ、どのような改正が行われても、冤罪の防止・取り調べの適正化は、実現しきれないだろう。事の発端が、検察内部の組織・人の不祥事であることから目を背けずに、どうすれば冤罪を生み出し、不適切な取り調べを行おうとするのか(行ってもいいのだと思うのか)を解明し、解決に取り組むべきある。 こういった、やってはいけないことを当たり前のようにやってしまう組織・人の“闇”は検察に限らず、司法取引の対象となる贈収賄や横領を行う企業や人、振込詐欺などに加担する組織や人にもある。なぜ組織はそのような犯罪を起こしたのか、なぜ人はそのような犯罪に加担したのか、といった“闇”を解明し、組織的な犯罪を撲滅し、同じような犯罪を起こさせないことが重要である。
繰り返すが、司法取引が導入されたこと自体に反対なのではない。本来の目的とは異なるところから導入が決まろうとしていること、司法取引は新たな冤罪を生む可能性をはらんでいること、そもそも捜査権限・捜査手法の見直しが事の発端である組織が不祥事を起こす原因解明と不祥事の防止に繋がっていないことが問題だと思っている。だが、司法取引を適切に運用する仕組みが作られ、その仕組みによって司法取引が適正に運用されることで、今までは解明できなかった組織犯罪における組織・人の“闇”が明らかにすることに活用されるのであれば、言うことはない。まだ法案は、本国会で審議入りする前である。概ね法案は固まってしまっているものだとは思うが、しっかりと意義ある審議を行い、本来の目的に合致した制度となることを期待したい。
ヘッジホッグ