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2007.12.20

アウトソーシングされた家族の機能

 七つ年下の弟と二年ぶりに会った。妻と二人の子供を連れてきた弟と一緒に食事をしていると、突然弟が、食べ物を粗末にするものではないと長男を叱り飛ばした。子供を叱る口調が、あまりにも父に似ていたため、私は思わず吹き出しそうになってしまった。叱った後に続く説教の内容まで、そっくりだった。
 さて、その父だが、他界して今年で17年になる。不正を嫌い、他人にも厳しいが自分にも厳しい、尊敬すべき父だった。むろん人である以上、生きて向かい合っているときは、多くの嫌なところも見えたものだ。しかしながら、嫌なところは、年月とともに、ことごとく記憶の中から薄れて行った。どうやら、人は死ぬと、人としての輪郭を鮮明にするらしい。
 会う度に、父に似てくる弟を見るにつけ、父の人としての輪郭は、弟にとって大切な精神的支柱になっているように思えた。少なくとも、弟の中には、子供を躾ける上で明確な価値基準があるようだ。昔、なにかと父に反発していた弟は、認めたくないかもしれないが、それは間違いなく父がつくり、家族の営みを通して継承された価値基準だった。

 翻って、考える。私の子供は女の子、娘である。彼女はどのような価値基準を手にするのだろうか。それはまた、私の父の価値基準であるのだろうか。私の価値基準はどこからきたのだろうか。彼女の価値基準の成立に、私はどう関われているのだろうか。こんな疑問をあらためて疑問とせざるをえないほど、今日では、価値基準の継承ということが難しくなってきているのだと実感させられる。

 そもそも日本人はみずからの価値基準をどこに見出していたのだろうか。ある広告会社が行った世界各国の価値観調査の報告書に、ほとんどの国では、8割近くの国民が「神」の存在を信じているというデータがあった。要するに、様々な感情や理屈を超えて、個人の判断を後押ししてくれるような確固たる価値基準が存在しているわけだ。
 一方、日本人はといえば、極めて宗教感の希薄な国民であり、8割以上が「神」の存在を信じていない。なるほど、史実を紐解いて見ても、日本人は、特定の「神」の教えに長く縛られたことがない。いにしえより親しまれている七福神には、インドの神様もいれば、中国の神様も乗っていて、実にグローバルな顔ぶれだ。葬式は仏教で、結婚式は神道で、年末にはキリストの誕生日を祝うことにも、なんの抵抗もない。もともと宗教感の希薄な日本人にとって、家族のしきたりや、その家族を支え律していた地域社会の秩序が、個人の判断を後押しする上で極めて重要な役割を果たしていた。
 家族のしきたりや地域の秩序には、儒教的な精神や、神道的な畏れや、仏教的な教えも散見されるのだが、それらの主語は、「神様」ではなく、「世間もしくは我が家」だった。しかしながら、それさえも個人の自由の名の下に希薄化させ、本当に自由になってしまった日本人は、個々の判断基準も、その都度、自分自身で見出さなければならなくなった。
 「自由に生きなさい」と、親が言い、「親の価値観を押し付けないことが親の愛情だ」と言う。こんなに苦しいことはない。日本人は、精神的支柱となるような「神」を持たないまま、「孤立した自由」という、実に厳しい境涯を手に入れてしまったのかもしれない。

 「孤立した自由」をもたらした要因は、戦後から今日に至る核家族化の進展であるといわれているが、けっしてそうではない。大正9年に行われた第1回目の国勢調査でも、核家族は、全世帯の半数を超えていた。それどころか、遥か縄文時代の昔から、核家族は社会の主流だった。しかし、それはあくまでも居住形態の話であり、近隣に住む血族や、地域社会と深く関わっており、核家族も、けっして孤独な存在ではなかった。今日、問題となるのは核家族化の進展ではなく、核家族を孤立させる社会のありよう、すなわち一代の親の価値観を支える世代間の繋がりや地域社会の同意、同じ価値観を共有し親たるものを後押ししてくれるものの不在なのではないか。子どもに価値基準を教えるべき親もまた、精神的支柱を失い、自らの価値観を説得する術をもたないのだ。

 日本人にとって、家族とは何だったのだろうか。もともと家族は、より優れた種を次代に繋ぐための生命共同体として、あるいは社会を構成する生活共同体として、四つの機能を持っていた。
 一つ目は、「養護の単位」としての機能だ。家族には、子供を生み、子供を養い、子供が成人するまで育むための機能があった。両親が家計を支えるために生産活動に勤しむ時は、両親の祖父母がその機能を支えた。その祖父母が老いてくると、今度は、家族で祖父母を養護し、かつて世話をされた孫も、それを手助けした。
 二つ目は、「生産の単位」としての機能だ。農業であれ、漁業であれ、商業であれ、家族には、経済的生産活動を営む場としての機能があった。武家社会は、親が勤めに出かけるという形態をつくったが、勤めに出るのも、あくまでも家族の中で分担された役割であり、その生産活動は、家族という単位で支えられていた。
 三つ目は、「消費の単位」としての機能だ。消費もまた、個々人が別々に行うではなく、あくまでも家族という単位を基本としていた。
 四つ目は、「教育の単位」としての機能だ。家族は、子供に、読み書きを教え、生きる術を教えていた。また、学ぶことの大切さや、学ぶ姿勢を教えていた。人として生きる姿を教えていた。教育の基本は家族の中にあり、学校は、あくまでも補完的な位置づけだった。
 そして、これら四つの機能は、単体としての家族の中だけではなく、近隣に住む血族や、地域社会が一体となって支えあっていた。いやむしろ、それらが一体になって支えていたからこそ機能していたのだ。

 ところが、戦後から続く、個人の自由を求める風潮は、家族を近隣の血族から分断し、地域社会からも切り離していった。家族は孤立し、これらの機能を単体ではまかないきれなくなった。その結果、今日、これらの機能は、ことごとく家族の外に求められるようになり、商業機関にアウトソーシングされるようになってきた。
 家族の養護は、保育所や介護施設などの外部機関に委託されるようになり、夫も妻も、生産の場を家族の外に求めるようになった。それどころか、仕事を家庭に持ち込まないことが普通になった。教育も、学校や塾に丸投げするようになり、家族に残されたのは、「消費の単位」としての機能のみとなった。
 そんな抜け殻のような家族の中で、日本人は、どこに精神的支柱を求め、どのようにして自らの価値基準を見出していくのだろうか。

 少子高齢化が進む日本において、家族の在り方は、ますます重要なテーマになる。家族は孤立したまま、それぞれに老いていく。そして、経済的な余力もなくなった時、家族としての機能をアウトソーシングすることさえままならなくなるだろう。

 失われた家族の機能を、家族の中に戻すのは容易なことではない。しかし、身近なところから、私達にできることもあるはずだ。自分を含めて、子を持つ親達はみずからに問いかけなければならないだろう。死して尚残すべき、自らの輪郭とは何かを。難しいことではない。家族の中にあって譲ることのできないルールをつくっていけばよい。家族を律する価値基準を言葉にして伝え、行動で示していけばよい。自分を育ててくれた親の背中に、それらの手がかりを見出すことができれば幸いだ。有無を言わさぬ「神様」としてのすり込みは、幼少期の子供と親との関係の中でのみ可能なことなのだ。それに反発するもよし、それを受け入れるもよし、それらは子どもの側の話であって、少なくともなんでもありの自由よりは、彼らを救うこととなるだろう。物理的な空間の共有はなくなっても、そこにかつてのような家族の教育機能の再生を期待することができる。

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