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2010.05.10

「今年の新入社員」の意識が物語る問題とは

 日本能率協会は、先月、今年の新入社員意識調査結果(10年度の新入社員1107人を対象)を発表した。この調査結果によると、「年功主義」と「実力・成果主義」のどちらの会社で働きたいかという質問に対して、「年功主義」を選んだ人が、2001年度の調査開始以来、初めて過半数に達し、「定年まで勤めたい」という意向も過去最高の50.0%に達したという。一方、「実力主義・成果主義の会社」を選んだ人は03年の73.5%をピークに減少傾向にあり、今年は、前年度比7.5ポイント減の49.1%となった。これらの調査結果に基づき、各メディアでは、新入社員の「安定志向」が改めて浮き彫りになった、と報じている。

 では、企業が日本的雇用慣行とも言える「年功主義」を採用していた背景には、どのような事情があったのだろうか。日本の企業が「年功主義」を採用していた前提として、ここでは主に以下2点を挙げる。

まず日本の企業が、前提の一つとして置いていたのが「勤続年数に比例して、社員の熟練度が上昇し、それに伴い労働生産性が向上する」ということだ。かつての日本は、高い経済成長期にあり「ものを作れば売れる時代」であった。そのため、特に「ものづくり」を行う企業においては、「より効率的」に良い製品を作れることが社員の優秀さを現す主要な指標であり、勤続年数と労働生産性との相関性が高い時代だった。そして、そのことは、企業が勤続年数に比例して高まる賃金制度にも妥当性を持たせる重要な前提であり、また熟練した労働者の自発的インセンティブを確保し、社員の定着率を高めるための手段として、功主義的な賃金制度を企業が用いる前提ともなっていた。

しかし、「単純に作っても売れない時代」へと変化してから、相当の時が経過している。モノの品質は、かつてほど差がなくなっており、単に「良い製品を作る」というレベルを超え、研究開発からマーケティングに至るまで、「独創的な」アイデアがないと、いずれは競争に負けてしまう時代となった。つまり、「勤続年数に比例して、社員の熟練度が上昇し、それに伴い労働生産性が向上する」といった、かつての前提は崩れ、企業の年功主義的な賃金制度の妥当性は失われたということである。先日の日本経済新聞では、「大手工業メーカーの常務が、中国で自社製品のニセ物を見て背筋が寒くなった」、というエピソードを紹介していた。これは正しく新興国を含めて各国の技術力は、かつてほど差がなくなり、「独創的アイデアの有無」が企業の存続を左右するといった現実を、如実に表した象徴的エピソードとみて良いだろう。

また、「ものを作れば売れる時代」であったということを背景に、企業は「永続的に存続する」ことを前提にして、長期的スパンで正社員の雇用保障を行ってきた。企業は、暗黙のうちに「女性が家事・子育てに専念」「男性が一家の大黒柱」であるという、一家が一人の稼ぎ手に依存している日本の典型的な家族構成を念頭においていた。そして、社員の年齢に応じて起こり得るライフイベントを見越した生活給を支給してきたのである。

しかし、企業が「永続的に存続する」という前提は、その規模を問わず既に崩れているのは、誰もが理解していることである。また、上記で記述した通り、「経験年数が労働生産性の向上につながる図式」は既に崩壊しており、画一的に長期的に一人の社員を社内に留めておくメリットは、必ずしも高くなくなってきている。更に日本の家庭における役割分担についても、一概には言えなくなった。総務省統計局が5年に一回行っている国勢調査の結果からは、生涯未婚率(50歳時点で一度も結婚をしたことのない人の割合)が、男性・女性共に増加の一途を辿っていることも明らかとなっている。つまり、ここでもかつての前提は崩れていると言えるのだ。

以上のような状況から、既に年功主義から成果主義へ軸足を移している企業は少なくない。しかし、長期にわたり年功主義を採ってきた企業が、成果主義に転換すれば、社員の帰属意識の低下を招き、モラル低下の懸念が生じる。現在、多くの企業が「行動規範」の中で法令順守等に留まらず、「社員一人一人の成果の創造」を行動規範として定めているが、このことは「社員一人一人が成果の創造を行わないこと」が、法令違反時と同レベルの重大リスクに繋がると認識されているということでもある。そもそも行動規範とは、企業にとって特に重要な行動基準・基本原則として全社的に伝達・周知されるものであり、一般的に企業におけるコンプライアンスの基本方針として位置づけられるものだ。企業にとって「社員一人一人の成果の創造」は、企業の経営の根幹に関わる重要事項であり、改めて強く意識されるようになっているのである。

但し、これまでの年功主義において、「成果」が求められなかったのかと言えば、決してそうではない。製造業の例でいえば、Q(品質)とC(コスト)とD(納期)が、現場の業績を管理するための重要な指標として使用されており、社員は目標の達成度によって評価されてきた。そして、このような評価は、正しく業績管理に基づく「成果主義的」な人事管理であったと言える。それにも関わらず、日本の過去の雇用システムが「年功主義」と言われていたのは、企業の「成果」が、市場の不確実性とそれに伴う経営リスクが非常に低いなかシステマティックに生み出され、その「成果」によって社員が「年功序列的」に処遇されるのが当然とも言える環境にあったからである。

時に「成果主義」という言葉は、適切な定義がなれないまま使用され誤解を生じさせることもある。しかし、いづれにしても、上記のような前提が崩れている状況において、企業が「年功主義」を取り続けることは、「現代における成果」が創出され難い環境を自ら社員に提供しているといっても過言ではなく、非常にリスクの高い企業と言える。

それでは、何故半数以上を超える今年の新入社員は、「年功主義」を志向するのだろうか。

一つは、「成果主義」の定義についての認識の不足があると考えられる。上記でも触れたが、これまでも各企業は、業績管理に基づく成果主義的な人事管理を行ってきた。本来、企業が成果を追求するのは当たり前のことだが、「成果主義」であると認識されている企業の業績管理と人事管理の関係が、「年功主義」と認識されている企業の業績管理と人事管理の関係と、どのような点で異なるのか、適切な定義がないまま判断されている可能性がある。成果主義を採用する一部の極端な例を見聞きし、そのイメージが先行した結果、「成果主義」よりは、「年功主義」の方がまだましである、といった結論に至った可能性も十分に考えられる。

そして、もう一つは、言うまでもなく、昨今の不況によって引き起こされている「目先の不安」がある。「目先の不安」にかられるのは、日々各メディアを通じて、就職難・人員削減といった言葉を目の当たりにすれば当然である。また、このような不況下における日本の現在の新卒採用の構造が、新入社員の年功主義への志向のシフトを後押ししているとも言える。学校卒業時の新卒採用という一時点に大きく集中した企業の現在の採用システムでは、一度チャンスを逃すと、その後契約社員・フリーターといった非正社員にならざるをえない。そして、いったん非正社員となると、そこから抜け出すことが、益々困難な世情となっている。このような環境下で、正社員として就職することを目的に就職活動を行い、決まった就職先で「定年まで守られたい」という意識が先行するのも、ある意味自然なことではないか。

よく、冒頭で示したような調査結果の数値だけをみて、「今年の新入社員は保守的だ、消極的だ」といった意見がなされることがある。しかし、時代によって変化する、企業が「成果」を出すための条件・就業環境を鑑みれば、今年の新入社員の志向を、単純に過去と比較してみることはできないはずだ。言い古された「今年の新入社員は」という言葉の先に「今年の新入社員」の問題を挙げるのであれば、「今年の新入社員」を形成したものは何なのか、その問題点を突きとめ、次に起こすべきアクションを見出すことが、私たちの果たすべき役割ではないだろうか。


 

  

マカロン

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