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2007.11.05

自信喪失時代から1億総リーダーシップへ

 最近電車内の「優先席」に高校生や若い世代の乗客が悠々と座り、老人、乳幼児連れ、身体障害者が途中から乗車してきても知らぬ顔で、席を譲ろうとしない事が目につく。これは公共道徳の有無の前に、人間としての基本的感覚、判断の欠如が問題だと思われる。それは弱者へのいたわりの心の自然発露であり、「人間らしさ(社会的環境と教育と躾で培う)」の表れであった筈である。「優先席」とは、それを必要とする人の為に予め空けてある座席であって、空いているから座るものではない。その意味が理解していないことが先ずは問題なのである。
 むしろ彼らが狸眠りを決めこみ、バツの悪さを感じている様であればそこに「人間らしさ」は残っており特段な問題ではない。しかし席を必要とする人々が乗車して彼らの眼の前に立っても、平気で談笑している姿は異常と言う外にはない。この場合「平気でいる」と言うことは、それが既に「人間らしさ」を喪失した非人間的(単なる本能的)存在でしかないことを意味する。しかも彼らは社会的な落ちこぼれではない。人間が人間らしいということは、群れ社会である集団で秩序を維持するために用意されたルールを後天的に遵守する訓練をうけなくてはならない。それらは「躾」、「教育」、「規則規定」、あるいは「懲罰」である。

 さて、このような現象が起きる要因は、第一に社会的ルール、道徳が存在していない。第二にその躾が欠如している。第三に市民としての教育が機能していないという事実を現しているのではないか。私有財産制度、所有権の例でいえば、先ず3歳児位で玩具の取り合いをする子供に対して親が体罰的、皮膚感覚的に躾をする。「この玩具は兄のもの=あなたのものではない!」「あの玩具は隣の○○ちゃんのもの=あなたのものではない!返しなさい」「これはあなたのもの!分かった!?」というように。更に小中学で「人のもの=所有物の弁別と尊重=道徳」、そして「違反に対する懲罰=犯罪と法律」を知識として教育され、高校で「私有財産制度=資本制民主主義」を学習する。3歳幼児期に躾として身につけた暗黙知を、学校で「知識=形式知」として理解し、社会生活で実行する仕組みである。言うまでもなく躾は親の役割であり、教育は教師の役割である。先の「優先席」の例では親及び教師が夫々の役目、役割を果たしていない、いや果せていないと言えよう。その結果として優先席占拠、ひいては親族、学校の仲間、行きずりの人への殺人が発生する異常社会現象として現われている。今や父母は親としての躾を知らず、子供の育て方を知らず、その責務=マネジメントを放棄し、教師は生徒の徳育(正しい生活指導)を知らず、その責務=マネジメントを放棄している状況にある。由々しき事と言わざるをえない。

 かつて企業は民主主義の防波堤であった。だらしなく放漫な生活を送っていた学生生活から、一転して規則を遵守しなければならない。朝8時30分までに出社、午後5時30分まで「仕事」をする、時間厳守である。自分に与えられた仕事が終らなければ帰れない。更に仕事ぶりを上司、先輩に叱られ、鍛えられながら仕事の手順や方法手段を覚えていく。これは共にチーム、組織の一員として社内序列、秩序の自分の位置を自覚させられる。否応なくスベキことスベカラザルことを体験し、所謂大手企業でいわれた「日立マン」「三菱マン」として社員気質に鋳込まれていく。これを社風と言うが、会社にはこの鋳型の風土が明確であった。社会的訓練が稼動していたのである。
 ところが今そのコアである中堅社員、管理専門職に先輩社員としての、マネージャーとしての誇りと権威がかげり、上と下の板ばさみになってマネジメントの役割を果たせない現象が問題になっている。マネジメントとは、組織分掌の分担業務を部下、下位者を掌握して遂行させる権限の行使である。その手段は指揮命令、指示指導である。この権限の駆使、実行が出来ないマネージャーが多く発生し、会社が機能を果たせない危惧が生じつつある。このことは、躾教育をし損ねた世代が現代の企業の中堅層に現われてきたことと無関係ではあるまい。

 さて、このマネジメントの実行の品質(水準)を左右する能力がリーダーシップだということをご存じだろうか。リーダーシップを形づくる要素には、自信、決断力、実行力=達成力=完遂力、外部影響力、指導力がある。当然相反するものが自信喪失、不安感、弱気、迷い、消極性、中途挫折などである。いみじくも学校の教頭等管理職者の辞退者が増加しており、その理由は、「自信がない、苦痛である」によるものが多い。これはリーダーシップ能力の欠如と見る事ができる。

 企業では、リーダーシップとマネジメントを分けて考える場合があるが、マネジメントの本質はリーダーシップであると考えることが出来る。マネジメントとは100%組織における役割、すなわち任務責任である。企業が組織体である以上、当然業務の機能分業が部門組織として構成され、その単位毎に責任者(管理監督者)が配置される。この管理単位で部下の分担事項(職務)の遂行完遂を命令し、指導・評価し実行させる行為がマネジメンだ。これは「職務権限」である。この職務権限をもって指示命令する行為の執行が出来ない管理者が増えつつある。
 そこで必要な資質能力が「リーダーシップ」である。必要なのは「自信、自律,自立、自決、自助」の5原則の能力の確立にある。この能力は鍛錬と行動学習で付加増強が可能である。また、リーダーシップは相手に決められる印象でもあり、本人に他から認められる要素がなければならない。相手が自発的に「慕う、惹き付けられる、真似る、従う、尊敬する」事象がリーダーシップという現象である。
 マネジメントの権限の執行も、相手が権威を認め尊敬と信頼をもたなければ、指示命令という形があるだけで実行と効果(業績成果)は生じない。権威は「形=権限」ではなく「内容=心服」で具現化されることでリーダーシップが発揮されたということになる。
 そして、リーダーシップは信頼から生れる。信頼には「力量」(あの人には敵わない)と「器量」(頼れる、尊敬出来る)の2面がある。「力量」とは知識経験技量であり、行動学習で付加することが可能である。「器量」は人間性であり、外へは言動として現れる。判り易く表現すれば不言実行、初志完徹、不動不変,虚言虚構せず、言動一致、首尾一貫を徹底的に守ると言うことで、正に行動(切差琢磨、鍛錬努力)で創る人格である。この両面を保持する「人格」が相手を「感化させ同調させる原動力」=「リーダーシップ」になる。そしてこれが自信となり自助となり、自立となって更に増進する。リーダーの完成である。
 親、教師、管理者がリーダーシップを自覚し自信をもって育成にあたれば冒頭の現象(非社会性)は消滅し、日本の危機憂いは去る。世は1億総リーダーシップ化を希求している。

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