2009.07.21
婚活ブームで日本の結婚事情は変わるのか
1970年代以降、平均初婚年齢は上昇の一途をたどり晩婚化傾向が指摘されて久しい。つい最近までは、「非婚化」と呼ばれ生涯結婚しない層の出現が取り沙汰され、「結婚することが当り前」の世の中とうまくつきあうための論理武装を指南する書籍も複数出版されていた。また、アメリカ発のドラマSEX AND THE CITYが大きな人気を博したのは、30代から40代のシングル女性が迷いながらも自分の幸せを模索して恋愛し、人生を謳歌する姿が多くの同世代の人々の共感を呼んだからに他ならない。しかし、ここにきて昨年来の不況や世の中の先行き不透明感も手伝ってか結婚事情のトレンドは大きく変わってきているかのように見える。 もうすっかり耳馴染みがよくなった「婚活」という言葉も実は世の中に出現したのは、2007年のことだ。しかし、今年に入ってからこの言葉は益々存在感を増している。複数の「婚活」にまつわるドラマが放映され話題となったが、報道番組でも「婚活」の最前線をリポートする特集が多数組まれている。確かにその内容を見ていると世の中の「婚活サービス」の進展には目を見張るものがある。お見合いパーティ形式で独身の男女が食事をしながら相手を探す旧来型の出会いの機会を提供するサービスも、可能な限り多くの人と一度に接点を持てるように数100人規模で開催される物もあれば、残業もあって忙しいビジネスパーソンが参加しやすいように朝7時からの「朝婚活」と題した企画もある。また、ゴルフやワイン、料理や能など同一の趣味を持った相手との出会いを提供するサービスも増えてきている。今月には、プロ野球の日本ハムが売り出した「KONKATSU(婚活)シート」(見知らぬ男女が隣同士で観戦することができる特設シート)は予想を上回る応募で増席を図った程で、参加者の10%がカップルになったとその成功率の高さも話題になった。つまり結婚情報サービス会社以外のサービスを提供する企業にとっても、既存のサービス×「婚活」といった訴求をすることで一つのマーケティング機会となっている。その裾野は直接相手と出会う場の提供のみならず、女性・男性問わず婚活エステや立ち居振る舞い教室など「婚活」に有利に働くと想起できそうな物にも波及している。 こうした婚活サービスの出現は、参加者にとっては、自分のライフスタイルの中に取り込みやすい形で結婚相手候補に巡り会うためと、その準備機会を提供してくれる。また、趣味×「婚活」のアクティビティは、もし婚活としての成果がなくても時間を無駄にした気分にならないことも参加への心理的ハードルを下げているようだ。そして、何よりも「婚活」と冠したアクティビティを行うことで人生を前向きに歩んでいるという実感を持てるという心理的効果もあるのだろう。 一方で、意図的に結婚相手を探すために消費を伴う行動をすることに対して批判的な声もあるようだ。車や装飾品を買うように「結婚という体験」をしてみたいと思ったから、時間やお金を投資して手に入れるというような結婚すら一種の消費活動の一部として捉えているかのような風潮に社会通念の観点から、手段が目的化した行為として異を唱えるものだ。確かに婚活者の中には、結婚することで人生が変わるという期待を持ち、結婚することが目的になっている人もいる。そうした姿を目にすると、その結果得られるものが「望ましい結婚」なのかと疑問を呈したくなる人もいるのだろう。だが、仮にそういった批判を婚活者に向けたところでそれはある種のお門違いだと言える。過去には、結婚が女性に職業選択の自由や家庭内での地位・役割からの解放を、男性に社会的信用を与えた時期もあったかもしれないが、女性の社会進出が進み、男女問わず、自分の選択として結婚をしないことも珍しくない。人生の中である種の選択や経験をしなければならず、正しいとか幸福につながるということが断言できないほどそれぞれの価値観や生活のスタイルが多様化している中では、たとえ結婚という社会の主要な制度・慣行であったとしても、その特定の選択だけを取り立ててそれを評価し、推奨することはほとんどその主張を行う人が意図したようなインパクトを生み出すことはない。「婚活」という結婚に至るまでのプロセスに関しての是非を論じることはさらにナンセンスだと言える。 むしろ、最近の婚活ブームで着目すべきは、これまで当り前にもしくは無意識に行っていた生涯を共にしたい相手を探すという行為でさえもその行動に名前がつけばそれだけで、商業化の対象や価値ある情報コンテンツとなりうるということだ。 「婚活」と言う言葉は、大学卒業後も両親と共に同居しながら独身生活を送る若者をパラサイトシングルと名付けた社会学者の山田 昌弘氏と作家・ライターの白河 桃子氏との共著『「婚活」時代』という書籍のタイトルが語源となっている。この背景には、年功序列制度の崩壊で男性の将来収入の見通しが不安定になったことや男女雇用機会均等法が制定されたことで、結婚の多様化が進んだことが挙げられる。そして、男性総合職と女性一般職という職場結婚の仕組みが崩れたこと等から“一定の年齢になれば、特に活動を行わなくても自然に結婚できたシステム”が崩れたことを指摘したものだ。それを大学生が就職先企業を探す就職活動を就活と呼ぶことに倣って結婚活動=婚活と名付けられたのである。その言葉が、「今の生活を続けていても自然と運命の相手に出会えることはないかもしれない」という納得と共感と共に受け入れられたと言える。結婚に対して一生懸命取り組んでいるということを他人に知られるのは、従来の感覚からいえば、「焦っているように見られてどこか恥ずかしい」という意識を当事者は持ちがちかもしれない。しかし、19世紀のフランス人作家オノレ・ド・バルザックが、「あらゆる人智の中で結婚に関する知識が一番遅れている」と指摘したことは恐らく21世紀の現代においても同じであろう。それが、「婚活」というリーズナブルな名前がついたことで、結婚情報の収集や相手探しを堂々と行えるようになったということだ。 要は、「婚活」という言葉自体は、結婚を奨励するものでも、あるべき結婚を説くものでもない。婚活がブームとなっているように見えるのは、様々な企業がその言葉の力を借りてサービスを提供していることの結果でしかないのだ。かといって、それらの企業のマーケティング努力を否定する由はない。婚活ブームに踊らされるか、波に乗るかは個人の判断であり、必要なのは個人が自分の人生において責任のある判断を行うことにある。ただ、個人が注意しなくてはならないのは、この情報化・サービス化が進展した社会では、目新しく斬新なコンセプトが生み出されるとそれは、漏れなく商業化システムの中に組み込まれていくということである。これまでの常識ではタブー視されるような事柄でさえも、その重みや意味づけが変化した結果としてのサービスや情報に触れる機会が我々の日常の中では圧倒的に多い。自分の人生を幸せに生きていくためには、誰かが与えてくれた価値観や判断基準を鵜呑みにすることなく、現状認識を自分の目と頭で行い、よりよく生きるための方策を自分で考え選択していくことが必要だ。そして、社会に望むべくは、そうした個人の意志や選択を尊重し生きやすい環境を整えることである。もし、そこで社会全体の利益を損ねることがあると指摘をするならば、その個人の選択の前提となる社会のルールや構造を変化させることに着手すべきであろう。 スパイラル