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2009.07.07

日本文化は「箱」があれば世界に発信されるのか

 本年5月末に成立した2009年度補正予算にあった「国立メディア芸術総合センター(仮)」の設立について、さまざまな議論がなされているようである。国立メディア芸術総合センターとは、アニメ・マンガ・映画などの作品を展示するための美術館のことであり、同センターの設立は今年4月に文化庁が発表した構想である。しかし、国会での予算審議中から麻生総理のマンガ好きと紐づけ、「国立のマンガ喫茶」などと揶揄されているなど批判も多く、それに対し政府は「世界に誇れる成長産業として発展できる分野」として同センターの設立の必要性を主張していたものだ。結局補正予算は成立しており、2009年度は用地取得と建設費として117億円が計上されている。2011年の完成に向け着々と動き出しているようだ。ただし、6月に入ってから政権与党内でも建設を反対する声が上がっている。

 「国立のマンガ喫茶」といわれると、それこそ不要な印象を受けるのだが、そもそも、国立メディア芸術総合センターとは一体何なのであろうか。
 文化庁の「メディア芸術の国際的な拠点の整備について」という報告書によると、国立メディア芸術総合センターとは、これまでの芸術的アートと一線を画するコンピュータテクノロジーや電子機器を利用した作品・アニメーション・マンガ・コンピュータゲームなどの近代商業芸術やメディアアート作品を中心に、
 ・すぐれた作品を収集・保管・展示し、
 ・メディア芸術の歴史や最先端の動向等について調査研究、
 ・将来を担うクリエイターの育成を図るもの
で、世界的に高く評価されている「ジャパンクール」といわれる日本のメディア芸術を国際社会に発信する拠点機能を持つということのようである。文化庁は入場料収入として一人250円を想定、年間の来場者数600万人を目標として掲げているおり、年間1億5000万円の収入を見込んでいる。どうやら、多様な機能を有するものであるようだ。
 確かに、マンガだけではなく様々なメディア作品が対象となっており、「国立のマンガ喫茶」という批判には少しずれを感じる。また、日本の映画やアニメーション、マンガが各国から高く評価されているのは確かである。たとえば、宮崎作品は世界中で高い評価を受けているし、今年のアカデミー賞では滝田洋二郎監督の「おくりびと」が外国語映画賞を、加藤久仁生監督の「つみきのいえ」が短編アニメーション賞を初受賞するなどしている。日本のマンガも世界各国で出版されており、そこから日本に興味を持ち、日本文化・日本語に興味を持つ人が増えていることを考えると、メディア芸術に関する情報を発信する意義はありそうだ。ただし、国立メディア芸術総合センターが本当にメディア芸術に関する情報発信機能として十分なのかは疑問が残る。具体的にどのような作品を・どのように集めるのか、国際社会にどのように情報発信するのか、といったことが明示されていればまだ想像もつくが、その点については最近検討が始まったところである。つまり、「箱」をつくることとそのための予算は決まっているにもかかわらず、国立メディア芸術総合センターの設立目的が曖昧なのである。
 もちろん、具体的な手段は後から考えるというアプローチがあってもいいし、実際にビジネスにおいてはそういうケースも少なくない。しかし、「収集・保管・展示」と「次世代の育成」、「情報発信」という一見分かり易いが実は曖昧な目的について具体的内容も見えない状況で、一手段にすぎない「施設」建設のための予算だけが先に決まっているというこの状況では疑問が残る。このままでは「私のしごと館」と同じ運命をたどってしまう可能性がある。

 果たして本当に国立メディア芸術総合センターは必要なのであろうか。
 文化庁はメディア芸術の現状の課題として、「我が国のメディア芸術の海外への発信が不十分となっている。その結果、我が国のマンガやアニメは海外で人気があるものの、流行に依存した限定的な消費に終わり、文化的な広がりを持ち得ていない」(メディア芸術の国際的な拠点の整備について(報告)より抜粋)ことを指摘している。要は、せっかくマンガやアニメの人気がでても個々を購入・鑑賞するにとどまり、そこを入口としてさらに他のメディア芸術や日本文化に触れるという流れになっていない、ということである。文化庁ではこの原因として、日本のメディア芸術の各分野が独自に作品を収集・保管、情報発信しており、それぞれがうまく連携していない点を挙げている。文化庁はその他、創造活動のための作品の収集・保管や発表する機会を拡充することと人材育成の強化が課題であると言っている。
 確かに、映画は東京国立近代美術館のフィルムセンター、マンガは京都国際漫画ミュージアム、アニメは東京アニメセンターと杉並アニメーション・ミュージアム、メディアアートはNTTインターコミュニケーション・センターといったように、それぞれが作品の収集・保管や展示をしている。文化庁としてはこの分断された状況を解決すること(具体的には、分野横断的に常時展示すること)で、特定の分野に興味を持っている人々が他分野に興味を持ったり、クリエイター同士の分野を超えた交流による新しい創造につながると期待しているようである。効率的かどうかと考えると確かに効率的かもしれないが、文化的な広がりや創作というのは本当にそんなに単純なものなのだろうか。
 本当に興味がある人は、情報が一堂に会していなくても自らの力で対象分野を広げて情報を収集する。インターネットではキーワード検索で様々な情報を瞬時に入手することができる昨今、物理的に一堂に集める必要はないのである。情報収集をする際には不要な情報も含まれたりするかもしれないが、そこから意外な発見がある。そこから、これまで知らなかった・知られていなかったものに焦点があたり、それこそ文化が広がっていくのではないか。また、クリエイターにとっても物理的に一堂に集める必要は必ずしもない。なぜならば、作品はクリエイターたちが悩み・考え・感じる中から生まれてくるものであるからだ。一見無駄に思える時間や、自身の専門分野とは全く関係のないことからヒントを得て、作品が生まれてくるケースも多いはずである。したがって、敢えて物理的に一堂に集める必要は必ずしもないと考えられる。
 文化庁は他にも、施設が集約していることの観光メリットや産業振興もうたっている。しかし、観光メリットとしてはそれこそ逆に各地に点在していても全く問題はない。それどころか、点在している方が国内を移動してもらえ、日本に触れる機会は増える。また、短期間の旅行では回りきれなくなるため来日回数を増やすことができるはずである。
 産業の振興という側面から考えるならば、国として教育プログラムの開発を行ったり、該当する教育機関や制作会社への支援を行えばよいはずである。たとえばアニメーションについてはその製作費は非常に安い。したがって、国内政策の場合には若手アニメーターの給与は非常に低く、それでもさらに安い制作先を探して海外に委託するなどしているようである。産業振興を語るのであれば、こういった状況をしっかりと把握・分析した上で、対策を考えるべきではないか。

 このように考えてみると、やはり箱ありきで考えているように見えて仕方がない。これまでの問題を考えてみると国としてやるべきは、国立メディア芸術総合センターのような「箱」を建設して運用することよりは、メディア芸術の各分野についてどこに行けば見て触れることができるのかといったような情報をしっかりと伝える体制を整えることではないか。例えば、メディア芸術祭について旅行会社とコラボレーションしてもっと大々的に宣伝したり、文化庁のHPで「メディア芸術」ページをつくり、そこで公立でない博物館も紹介するなどである。
 国としてメディア芸術を支援するということは決して悪いことではない。しかし、国として本当になすべきことは何なのか、今一度考えた上で施策を考える必要があるのではないか。


 

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