2009.05.22
企業の社会的責任を今一度振り返る
企業の社会的責任、いわゆるCSRという言葉が日本国内で意識され始めたのは、ミレニアムを過ぎたあたりだっただろうか。エンロン、ワールドコムなどの米国における巨大企業が2001年から2002年にかけて不正経理・粉飾会計が明るみに出て経営破綻したことをきっかけに、CSRは世界中で強く認識されるようになった。2003年には日本で初めて、リコーがCSR室を設置し、ソニー・ユニチャームと製造業が発端となって取り組みが本格化していった。現在では、日本国内においてもCSRという言葉は定着し、国内大手企業ではほとんど例外なくCSRに関する取り組みをホームページ上で公開している。
とはいえ、企業の社会的責任自体は決して新しい概念ではなく、CSRという言葉が広まる以前から企業は社会に対して貢献することを求められてきた。古くは、製造業に対して公害問題への対応が求められる形で企業の社会的責任は語られてきた。現代においては、企業が社会や利害関係者に対して説明責任を果たすことや、持続可能な社会を実現するために企業が貢献する活動という形でCSRは主に語られている。こうした歴史的な変遷を参照すると、企業の利益創出活動が地域社会に対して有害なものであってはならないという責任の在り方から、企業の活動全ては法令を遵守し、倫理を守らなければならないものという責任、そして社会をより良くするために企業が社会の”一市民”として貢献すべきという責任へと変化している。すなわち、企業活動のマイナスの側面の払拭~基本的ルールの遵守~プラスとなる活動への展開と、CSRで語られるべき責任の内容は拡大しているといえるだろう。
昨今の金融危機の影響を受け、企業の倒産・大規模解雇が相次ぐ米国において、新しい形でCSRの取り組みが始まっているという。米国において、2009年4月の雇用統計で失業率は8.9%となり、就業者数は2008年1月から18か月連続で減少している。このような環境の中で、失業者向けに無料サービスを提供する企業が出始めたのだ。事務用品大手のオフィス・デポでは、求職中の失業者が履歴書をコピーしたりファックスする場合の料金を無料とした。また、ドラッグストア大手のウォルグリーンでは医療保険に無加盟の失職者とその家族に対して一部の簡易診察を店内で無料提供している。企業が、社会の情勢に応じて臨機応変に、且つその企業の強みや”セールスポイント"を最大限に活かした形で社会に貢献している事例として捉える事ができるだろう。
一方で、日本におけるCSR活動の取り組みとはどのようなものか。主要なものでは、株主や顧客などの利害関係者への責任としてリスクマネジメントの徹底、顧客満足度向上に向けた取り組み、コンプライアンスの遵守などが挙げられる。また、社会への責任としては省エネや植林といった環境問題への取り組みや、チャリティ活動やケア施設の運営、子供への教育、文化活動への協賛といった取り組みが中心となって構成されている。どれも素晴らしい取り組みであり、ひとつひとつを否定するものではない。ただ、金融会社であっても機械メーカーであっても、省エネとしてクールビズを推進する、ボランティア活動として障害者や高齢者向けの施設を運営するなど、その取り組みの内容が大きく差別化されたものではない。前述した米国の事例のように、システムを提供している企業、もしくは食品や消費財を販売している企業が自社の強みを活かして独自に発案したと思える取り組みは少ない。また、継続的な環境対策やボランティア活動の実施は評価されるものの、その時々の社会情勢に応じて臨機応変に対応した取り組みは豊富とはいえない。誰からも批判を受けない活動を、横並び的に展開しているとはいえないか。現在の日本において、CSRは義務的なものとして、社会からのバッシングを受けないための最低限の取り組み、というリスク回避的な位置付けに陥ってはいないだろうか。
リスクマネジメントやコンプライアンスは最低限遵守する必要があるものだとしても、環境問題や教育問題への取り組み、文化協賛などは誰でも出来る。政府が主体となって現に取り組んでいるものも数多くあるだろう。そのような画一的な取り組みを横並びで実施することで、企業は社会に対してどんなメッセージを発することができるだろうか。民間企業が社会貢献活動に取り組むことについて、政府が取り組むこととの最も大きな差異は、柔軟性や独自性を持つことができる点だ。政府が取り組む以上は、すべての社会参加者に対して公平な活動である必要があり、また、ある一つの取り組みに注力するために他の問題を後回しにすることは出来ない。結果的に、マスマーケットに対する総花的な取り組みが中心となってしまい、地域や状況に応じた臨機応変な対応は取りづらくなる。一方で、企業においては、その企業が提供する商品やサービスという得意分野がある。自社の得意分野においては消費者動向や市場環境の調査を行っていることから、より市民ひとりひとりのニーズに近い対応を取りやすい環境と言える。にも関わらず、様々な企業が同じような取り組みに終始しがちなのは、CSRをコスト、すなわち企業利益創出のための活動とは異なる義務的な投資として消極的に捉える企業経営者がまだまだ多いからではないだろうか。
マイケル・E・ポーターとマーク・クラマーは、著書「競争優位のCSR戦略」の中で、CSRは「贖罪や保険であってはならない。むしろ、より積極的な態度で臨むことで競争優位の源泉となりうる」と述べている。競争優位となる、ということは社会にとってプラスのインパクトを持つということだと読み換えることが出来るだろう。先の米国の事例を振り返ると、例えば簡易診察はオフィス・デポでは出来ないし、医薬品メーカーでは販売拠点が少ないが故に恩恵を受けられる対象も減少するだろう。ドラッグストアであるからこそ、人々は足を運びやすく、恩恵を受けられるのだ。そうして恩恵を受けた人々は、復職後、新たな顧客として定着する可能性は十分にあるだろう。しかし、現状の日本のCSRは、持続可能な社会の実現に貢献する取り組みではあっても、その柔軟性や独自性において他の企業との有意差を持つ活動にまでは至っていないといえる。
インターネットの普及や動画配信の浸透によって、新聞社やテレビ局の広告収入が減っているという話題を良く耳にする。しかし裏を返すと、それは企業にとっても広告宣伝の場が減っていることを意味する。そうした経済環境の中にあって、CSRは義務であるという認識はあまりにも限定的、保守的ではないだろうか。CSRに関わる活動の場は、企業が持つ社会との重要な接点である。CSRの目的は企業利益の実現ではない。しかしながら、企業自身がCSRを義務や制約条件として捉えている間は、各社の多種多様な取り組みによって社会の発展や持続可能な社会の実現に対する貢献度合いが今より一層高まっていく、ということはないだろう。今一度、CSRとは何か、自社が社会に対して提供できるものは何かを真剣に考え、自社の競争戦略の一部として積極的に取り組んでいってもらいたい。
馥郁梅香