2008.12.02
自由主義経済の限界から日本企業は何を学ぶか?~「企業倫理」を遵守した経営価値向上~
アメリカが中心となり進めてきた世界の自由主義経済の進展は、これまで我々に大きな富をもたらしてきた。この背景には「自由主義経済体制の中心である市場経済原理が、経済の成長・活性化にとって統制・規制中心の計画経済原理よりも基本的に優れている」という前提があり、各企業は経営活動への諸規制が廃され、市場が活性化されたと言われている。 そこで、今後日本企業が目指すべき経営の方向性の一つとして、企業倫理を遵守した経営価値向上について考えてみたいと思う。 まず企業倫理の概要を明らかにし、企業倫理の欠如が引き起こしたと思われる事象と、それを引き起こす要因をアメリカ政府の動向・機関投資家の観点から検証し、最後に日本企業が今後取り組むべき課題を提言したい。 企業倫理とは「企業行動とそれを実現する企業内における人間の行動に関して、意思決定の根幹となるもの」である。具体的には、企業の行動は投資家、消費者に大きな影響を与え、あるいは社会や環境に深刻な被害を与えるものであるから、企業の行動は常に高い倫理性をもって行われなければならないという考え方である。 それでは、企業倫理の欠如、つまり4つの原理の不均衡が引き起こしている事象をいくつか紹介したい。 一つは、大手証券会社リーマンブラザーズの経営破綻についてである。 では何故、名だたる企業がこのような状況に陥ってしまっているのだろうか。その要因をアメリカ政府の動向と機関投資家の観点から検証してみたい。 まずはアメリカ政府のこれまでの動向を見てみよう。カリフォルニア大学教授ロバート・B・ライシュ氏によると、1970年代後半以降の技術発展により、アメリカのシステムに根をおろしていた巨大寡占企業の地位が揺らぎ始め、経済構造はそれまでよりずっと競争的な市場へとシフトしたと指摘している。政府は競争的な市場に対応するためにあらゆる規制緩和政策を進め、その一つとして金融の規制緩和に取り組み、「金融大国」を目指した。 では、アメリカの動向に習い発展してきた日本企業は、そこから何を学び、何に取り組むべきか。日本企業が今後、社内外に対して取り組むべき事を考えてみたい。 まず社内に対しては、社内体制や風土の点で社会性・人間性が育まれる環境になっているかどうかを検証し、見直すべき所は見直す事だ。 日本企業のこうした社内・社外へ対する取り組みが、バランス感覚を持った従業員・株主・消費者を作り、日本全体に効率性・競争性・人間性・社会性の拡大均衡を実現できる土壌ができることを期待したい。
日本においても、市場経済原理の一層の徹底を図って、自由主義経済体制の維持・発展をさらに進める立場で「小さな政府」の実現を目指し、政府の規制・許認可などの縮小・廃止を行ってきた。
しかし、アメリカ発金融危機は自由主義経済の限界を露呈し、先に挙げた前提を揺るがすものとなった。自由主義経済体制の下では企業の自由度が増えるにつれ、社会的公正が阻害される可能性も増大することを意味している。つまり、そうした弊害を企業は政府主導の行政指導や産業政策などの規制に頼らずに自らで規制し減ずる必要がある。
今後、アメリカや日本をはじめとする自由主義経済体制を運営した国は、「効率と公正」のバランスを根本から見直す事を求められるが、同様に多くの企業においても「効率と公正」のバランスを見直す事が重要な経営課題となる。具体的には各企業の自主的な理念の設定と、それに基づく行動を自ら律する倫理性が強く求められている。
また本分野の第一人者である神奈川大学名誉教授の水谷氏は、今後の経営環境の中で企業倫理を遵守し経営価値を高めていくためには、旧来から存在した経営の効率的運用を目指す「効率性」、市場競争力強化を推進していく「競争性」の原理に加え、人間尊重の思想に基づく「人間性」、社会との関わりにおける配慮と貢献を目指す「社会性」の2つの原理を新たに加えた、4つ原理の拡大均衡を図っていくことが重要であると指摘している。
新たに加わった「人間性」・「社会性」についてはもう少し深くその意味合いを見てみよう。
「人間性」とは、主として企業における従業員の雇用と処遇における“人間らしさ”の実現を追求する考え方である。ここで言う“人間らしさ”の実現とは、人権の尊重や人類福祉への貢献などはもとより、過酷な職場環境の改善、身分・性・人種などによる差別待遇の廃止、会社生活における“やる気”の充足から“ゆとり”と“豊かさ”の実感などの事である。
一方「社会性」とは、社会のルールを尊重・遵守することから始まり、社会の発展に寄与しうる行為を奨励する考え方である。この場合の“社会”とは、企業の営業行為の対象である市場・顧客(消費者)をはじめ、一般の地域社会や市民社会、さらには国際社会、世界(地球)全体を含んでいる。
昨今、世間を賑わしている大手企業の凋落や経営破綻の背景には、自由主義経済が誘引した「利益至上主義・株主至上主義」を志向するあまり、過度に「競争性」・「効率性」を追求し、「人間性」・「社会性」を蔑にした企業の経営姿勢があったと言える。
リーマンブラザーズは、サブプライムローンをはじめとするジャンク債権を最新の金融工学を駆使して、一見魅力的な証券に仕立てて世界中の金融機関や投資家に販売した。やがて、不動産価格の上昇に陰りが見え始めると、手元流動性の枯渇と損失が表面化し、破綻へと追い込まれた。
多くの証券会社は、あらゆる投機的案件を証券化し、実際の資産価値をブラックボックスにして投資家に売りぬいていた。そこには、証券化する案件の実態はほぼ考慮せず、利益が上がるならなんでもありという「利益至上主義」的発想がある。この様な経営姿勢からは、「企業倫理」が求める市場や顧客の発展に寄与する行為を奨励する「社会性」への配慮は全く感じられない。
いま一つは、ビッグスリーの1社であるGMのマネジメントスタイルについでである。GMのリチャード・ワゴナー会長が、今年5月の日経ビジネスの独占インタビューで「どうしたら世界一であり続けられるのか」との問いを受けた際の彼のコメントにより、その実態が明らかにされている。その答えとして彼は「企業としての至上命題は、株主への利益の還元であり、収益性やキャッシュフローが非常に大切です。当社は昨年、米国でレンタカー向けの販売を大幅に削減しました。採算が合わなかったからです。」と語っていた。彼の頭の中には顧客や従業員は不在、自社の株価と株主以外は存在しないのだろう。この様な「株主至上主義」的な発想は、利益が上がらなければコストカットを行えばよいという、ウォール街流のやり方がアメリカ企業に蔓延している証拠でもある。株価の動向一つで、事業のリストラを行うその経営姿勢からは、会社生活における“やる気”の充足から“ゆとり”と“豊かさ”の実感を求める「人間性」への配慮は感じられない。
この政府の動向により、第二次世界大戦以後アメリカ経済を牽引していた製造業から金融業へと中心産業の座が変わり、2007年にはアメリカの企業収益の4割を金融業が占める様になった。中心産業の座の変遷から見ても金融危機の影響がアメリカ国内に対して如何に大きかったかが伺い知れる。
一方、機関投資家の観点からは何が見えるだろうか。先に挙げた金融大国を目指す取り組みの中で、多くの預金者が投資家に変わり、アメリカ全体に「株価至上主義」の土壌が根付いた。その中で機関投資家の多くは企業の未来を期待するより、株価上昇を過度に志向する傾向にあった。故にCEOはなにがなんでも株価を上げようとするために、ストックオプション制度、401k確定拠出型年金などによって従業員まで過度に株価向上に意識を向けさせる。また、コンサルタントや証券アナリストも株価上昇を支援し、インサイダー取引まがいのことまでやる企業も出てきた。そこには、社会のルールを尊重・遵守し、社会の発展に寄与しうる行為を奨励する「社会性」への配慮は全く見えない。
代表的な事象としては、成果主義の導入による弊害が挙げられる。かつて多くの日本企業にあった「助け合いの精神」は、従業員の社会性を育む組織風土であったが、成果主義の導入により、個人業績に過度に執着することから「連帯感の喪失」「部下育成の軽視」がおきている。
この様な事象に対する特効薬はないが、「人間」について理解のある職場リーダーを育成することが重要である。人間性や社会性を重視する新しい価値観を組織全体に浸透させる場合に、職場集団毎にそれぞれのリーダーが新しい価値観を育て、かつ定着させることが不可欠である。
一方社外に対しては、IR活動を通じて社会性・人間性向上の取り組みやCSRへの取り組みを企業価値として市場に認知してもらう事だ。イギリスでは企業の社会的責任を考慮して投資行動を行う、SRI(社会的責任投資)が保険会社や年金基金の運用資産額の10%を超えており、現在も伸び続けている。今後日本でも増加すると思われるSRI投資家への対応について、企業として組織的に準備を整え、対応する事が重要である。
ジェミニ