2008.10.20
まもなく衆議院総選挙、国民に委ねられる審判とは?
早いもので麻生内閣が船出して1か月がたった。早々に解散かと思われたが、内閣支持率が思いのほか伸びていないことと、米国発の世界金融危機が発生し、このタイミングでの国内政治の空転は許されないという判断から、一拍置いた形になっている。ただ議員はすでに選挙モードに入っており、株安に歯止めがかかりそうな状況になれば、またぞろ年内の解散総選挙機運が高まってくることになる。 麻生内閣の組閣布陣を見てどのような感想をもっただろうか?発足時から選挙対策内閣としての色彩が強く、過去の2首相連続での途中投げだしによる与党不信の中で、まずは支持率を上げておきたいという意図が見える。しかし重要な点は、官僚に対して「自民党は官僚の皆さまの味方ですよ」というメッセ―ジに満ち溢れている点である。今回の組閣の本質は、官僚との対決姿勢を鮮明にしている民主党のマニュフェストに対して、自民党はこう考えていますよ、という立ち位置を明確にし、総選挙に対する官僚の支持を取り付けることにあったといってもいい。 例えば中川氏が財務相と金融担当相を兼任している。元々両省庁は大蔵省として一体だったが、バブル崩壊以降に大蔵から金融行政を取り上げる形で金融庁が設立された。その理由はバブルの発生、その後の崩壊による金融危機を食い止められなかったこと、税金の無駄遣いや民間との癒着や接待漬けの実態など、能力不足と内部の腐敗に対する国民の不信に対して、大蔵分割という形で決着をつけた格好だ。 次回の選挙が民主党にとって政権奪取の絶好の機会である。安倍氏から2代続く首相の政権投げ出しや年金問題などで自民党の支持率が下がってきていること、些細な軋轢はあるものの小沢代表の下に議員が結集する体制が整っていることなどがその理由だ。この好機に政権を奪取できなければ、もはや民主党では政権交代はできないだろう、これは民主党執行部自身も認めている。もともと民主党は寄り合い所帯のようなもので、所属議員をつなぎ止めている錦の御旗は、「政権交代可能な自民党以外の政党」であるということだ。それがこの絶好期に政権奪取に失敗したとなれば、小沢代表の引責辞任は確実であり、急速に瓦解(自民に鞍替えか新党を立ち上げる議員が続出する)に向かう。そうなれば日本は二大政党制に移行する足場を失い、日本の政治は引き続き一党により運営され、野党は批判することしかできない子供じみた政治論争が継続されることになる。 政権交代が可能な二大政党制は、アメリカ(共和党と民主党)、イギリス(保守党と労働党)、ドイツ(キリスト教民主党と社会民主党)などが有名であり、イタリアやスペインでも複数政党が左派と右派の大きなブロックに分かれ、国民に選ばれたどちらかのブロックが政権を担う形になっている。双方の政党やブロックが牽制し合い切磋琢磨することで、政党が国家にとって国民にとって本当に良いことはなにかを考えるようになり、また国民は政策で政党を選択するという政党政治の本来の姿に近づくことができる。 「政治はその国の国民を写す鏡である」、言い得て妙だ。この重要な局面で、国民が選挙権という自らの権利を放棄するようでは、ロクでもない政治がおこなわれていても文句をいえる筋合いではない。われわれ国民が選んだ政治家であり政権与党なのだから。「国民の審判を問う」、よく政治家が口にする言葉だが、政治家の立案した政策の是非を国民に問うという意味に等しい。今回の総選挙は、我々国民が日本の向かうべき方向に対して判断を下すものであり、その最後のチャンスなのかもしれない。秋の夜長、時間はたっぷりある。マニュフェストをじっくり読んで投票に行こう。 トラマンデー
今回の総選挙の争点は、経済景気対策や年金問題、後期高齢者医療問題あたりになるだろうが、実は国民が審判すべき本当のテーマが2つある。ひとつは日本が長い間の自民党による政治から、政権交代可能な二大政党制に移行すべきかどうかを審判するという点、そしてもう一つは明治時代から綿々と続く官僚による支配の構図を崩すべきかを審判するという点である。日本の将来に対する大事な岐路といってもいい重要な意味を持った判断を、気がつかないところで国民は求められている、そういう選挙なのである。
麻生VS小沢という対決の構図で世論が形成されているが、本質は官僚VS民主党という図式である。民主党が敗北すれば、自民党による政治(55年体制)と官僚による支配は継続、民主党が勝てば・・・、正直言ってどうなるかがわからない時代に突入する。日本が今後どうなっていくのか、その趨勢は有権者の政党選択眼にかかっている。
大蔵省はもともと各省庁への予算の配分を一手に握っていることで、格上の省庁といわれ強大な権力をもっていた。単一省庁が強大な権力を持つことは、他の省庁が大蔵省の顔色をうかがって活動することにつながり、官官接待などの温床になってしまうなどの弊害があった。そもそも金融や金融機関の管理監督と国家の税制などの財政運営は種類の違うものという考えで、他の金融先進国(英国、ドイツ、アメリカなど)では別々の機関で管理している。しかし今回の組閣ではトップが兼任ということになり、分割が実質意味のないものになってしまった。これは再統合の布石と考えることもでき、再統合による権力の復活を夢みる旧大蔵官僚10年来の悲願が実現するかもしれない。
また主要閣僚の面子を見ると、渡辺前行革担当相をはじめとする税金の無駄遣いや官僚の天下りに対してモノを言い続けた面々は、内閣から外れ、気がつけば主要ポストの多くは官僚OB議員によって構成されている。これによってふたたび官僚の意向を強く反映できる内閣になっており、その組閣名簿が発表されるや霞が関は小躍りして喜んだに違いない。
小泉、安倍政権と、官僚と戦う内閣が続いたが、福田を経て麻生になり再び官僚に都合のよい内閣が誕生したことになり、官僚は是非ともこの内閣には続投して欲しいと考えたことだろう。
対する民主党が掲げているマニュフェストはどうだろうか?官僚にとって最もインパクトが強いのは、一般会計約80兆円、特別会計約180兆円(一部一般会計と重複あり)の予算配分方法(使い道)の全面見直しを打ち出していることである。これは今まで省庁が一手に握ってきた予算配分権という権力の中枢に対して(与党自民党でも手が出せなかった、出さなかったというべきか)、切り込むことを公約としている。これまでは、それこそ財務省主計局が独自の論理で決めたものを国会で承認していたのだが、民主党はここに口を挟もうとしている。そしてこの部分を抜本的に見直すことで、様々な無駄が露呈し20兆円くらいの財源は確保できるだろうとしている。
また高速道路の無料化、後期高齢者医療制度の廃止、年金制度の全面的見直しなど、与党と同じばらまきに近い部分もあるが、特殊法人の撤廃、天下りの禁止などは、官僚にとっては絶対に触ってほしくない、退官後の自分たちの将来を保証する部分にまで手をいれようとしている。
まさに官僚の利権の構図に鉄槌をくらわし、全面戦争仕掛けようというくらいの凄まじさなのである。このような公約を掲げる以上、国民にとっては良いことであっても、官僚には不利になることばかりで、民主党には絶対に政権を取らせるわけにはいかないと考えるのは普通だろう。そこに自民党のよだれが出るほどの官僚へのサービスが提示されれば、全面的に応援しようというムードになる。このようにして自民党は選挙の基盤を固め、解散のタイミングをうかがっているのである。
日本のような一党による長すぎる政権は、政党と官僚の癒着に似た構図をできやすくしてしまい、結果として省庁の利権や自己の保全を優先する行政を作ってしまう要因にもなった。政権政党には国民の支持を失うことで、いつ下野するかわからないというプレッシャーにさらされ続けることが、重要なのである。