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2008.10.09

自分の言葉を見直す必要性

 9月24日、麻生内閣が発足した。発足当時から総理大臣自身の舌禍が懸念されていたが、ふたを開けてみると国土交通大臣が失言し辞職するに至った。当のご本人は、自分の言葉によってまさか辞職をもたらすとは考えてもみなかったのではないだろうか。今回の件では、言葉が与える影響の大きさについて改めて認識させられた。そこで、言葉の意味と使い方について考えてみた。

 就任翌日の問題発言に対し前国土交通大臣はすぐに謝罪をしたが、選挙を意識した与党内からも批判の声が上がり、結局就任から5日という驚異のスピードで辞職した。そんな彼は、辞職後のテレビ出演で「言葉には気をつけなければいけないが、言葉狩りばかりしていると政治が活性化しない。」と述べている。
 ご存じのとおり、「言葉狩り」とは、特定の言葉の使用を禁じる社会的規制を批判したものであるが、彼のこの発言はさらなる失言といえよう。なぜならば今回の一連の批判は特定の言葉の使用に対して反応したのではなく、大臣という立場でありながら事実と反するコメントを出し、また一方的・感情的な決めつけで発言したことに対して行ったものであるからだ。それに対して「言葉狩り」というコメントをするのは、指摘の意図をわかろうとしていないかもしくは言葉狩りの意味を誤って覚えていたのではないか。いずれにしても言葉の意味と使い方を見直してみた方がいいだろう。

 翻って、今回の騒動を見ていた我々自身は、言葉の意味をどれほど正しく理解し使っているのだろうか。かつてこんな失敗をしたことがある。新卒1年目、あるプロジェクトに参加するチャンスを与えられた。そのプロジェクトでの私の役割は非常にチャレンジングなものであったのだが、当時の上司がプロジェクトへのアサインを告げた時、こともあろうに「私には役不足では?」と言ってしまったのである。何も自分自身を過大評価したのではなく、当時の私は「役不足=自分には大役すぎる」という意味で誤って使ってしまったのである。相手が上司ではなく、またより重大な場面での大きな間違いであったらと考えると単なる笑い話にはできない。

 文化庁が平成7年から毎年、日本語に対する意識調査を行っている。平成19年度の調査報告によると、国語や言葉遣いが「乱れていると思う」と答えた人の割合は79.5%であった。実は平成11年ごろから、日本語が乱れているという認識は80%前後と高めに推移している。
 文化庁の本調査の他の項目を見ると、大変興味深い。この調査では同時に、慣用句の認識や使用、言葉の意味についても調査しているのだが、言葉の調査から一例をあげると、「檄を飛ばす(自分の主張や考えを,広く人々に知らせて同意を求めること)」などは、本来の意味で答えた人は平成14年度に比べて5ポイント上がっているが、それでも、正しい意味を選んだ人は19.3%にしか過ぎない。ちなみに、誤った意味である「元気のない者に刺激を与えて活気付けること」を選んだ割合は72.9%にも及んでいる。もちろん半数以上の人が正しく理解している言葉もある。たとえば「煮詰まる」だ。調査では例文「七日間に及ぶ議論で、計画が煮詰まった。」を挙げて答えを選ばせているのだが、「煮詰まる」の本来の意味である「(議論や意見が十分に出尽くして)結論の出る状態になること」の回答割合は56.7%となっている。
 しかし、調査の全体的な傾向をみると、誤った理解の方が多い。曖昧な言葉に対して調査をしているのだから、この結果は想定の範囲内なのかもしれないが、日本語の乱れを意識しておきながらも誤った使い方のままでいるというところを見ると、どうやら我々自身、言葉に対して正しい意味を意識することもなく感覚で使っているということである。

 果たしてこの状態を放置してしまっていいのであろうか。
 言葉は、自分自身が物を考えたりするときに使うが、それ以上に、他人との意思疎通を図る際の重要なそして基本的な道具である。相手は、自分の発した言葉を通じて、伝えたいこと(意図)を理解する。同じ言葉でも、自分と相手とが違った意味で理解していたら、意図は正しく伝わらない。
 もちろん、言葉に対して認識している意味の違いがそれほど大きくなく、意志の疎通に影響を与えるような部分でなければ多少意味がちがっていたとしても問題なく意図は伝わる。重要な点であっても前後のつながりから違和感があり、お互いが確認しさえすれば意図は伝わる。しかし、そもそも同じ言葉を違う意味で理解している可能性を露ほども考えることがなければ、お互い確認し合うということもなく、結果、意図が正しく伝わることはない。だからこそ、我々は言葉に対する意識を上げる必要がある。

 では、言葉に対する意識を上げるためにはどうするべきなのだろうか。
 まずは、自分自身が使っている言葉の意味が誤っている可能性があることを認識することである。一説によると言葉の発話は無意識レベルで行われるという。確かに、普段誰かと会話するとき、私たちは、言葉の持つ意味を慎重に考えながら使っているわけではない。
 次に、言葉を使う際には、相手との関係や相手の状態を見極めながら、意識的に言葉を選び会話をすることだ。その際、今自分が使った言葉は意図を伝えるのに適切なのか、自分の意図通り相手は理解したのかを、相手の様子からしっかりと判断することである。少しでも不安や違和感を覚えた場合には別の言葉を使ったり、表現を変えたりする必要がある。
 更に、自分が発する場合だけでなく、相手が発した言葉に対しても意識を向けることが重要である。相手が伝えたかったことはどういうことなのかをしっかりと考え、自分が理解できているかを確認する。このようなやり取りが必要である。
 なお、言葉の意味については、曖昧さを感じる都度、調べ直してみることをお勧めする。間違っても放置してはいけない。

 我々が言葉に対して鈍感になる一つの原因は、言葉の意味や使い方を、わざわざ意識する必要がないからであろう。背景には、我々日本の文化的特性(文脈から意味を理解する、高コンテキスト文化)ということが関係している。したがって、日常の中で自分自身が使う言葉の意味と使い方に対し意識を向けてみることが必要なのである。


 

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