2026.10.05
猫の気持ちが分かる時代に、人間はどう在るべきか
以前、「猫の寿命が30年になる世界線」というテーマでコラムを書いた。
我が家には2匹の女の子の猫がいる。できることなら一生一緒にいたい。そんな思いから、猫の腎臓病治療などの医療が進歩し、もし猫が30年生きられるようになったら、私たちの暮らしはどう変わるのかを考えた。その時に行き着いたのは、単に寿命が延びればよいわけではない、ということだった。長く生きることと、幸せに生きることは同じではない。仮に30年生きられても、その時間の多くを病気や痛みとともに過ごすのであれば、飼い主が「長く一緒にいたい」と願うことは、人間側の都合にもなり得る。だからこそ、寿命を延ばす医療だけでは足りない。健康な状態をできるだけ長く維持し、不調があれば早く気づくことも必要である。
そこで、前回のコラムを書いた後、もう一つ考えるようになった。それは、「この子たちが、今何を感じているのか知りたい」ということである。
猫と暮らしていると、不思議な行動に出会うことが多い。ついさっきまで気持ちよさそうに寝ていたのに、突然スイッチが入ったように部屋の中を猛ダッシュする。こちらをじっと見ながら「ニャー、ニャー」と鳴くので、ご飯なのかと思って用意しても食べない。「遊びたいのかな」とおもちゃを持ってきても反応しない。抱っこしようとすると逃げていく。こちらとしては、「では、いったい何だったのか」である。そして本人は、しばらくすると何事もなかったかのように寝始める。そんな時、「しゃべってくれたら楽なのに」と何度思ったか分からない。
「お腹が空いた」
「遊んでほしい」
「ちょっと暑い」
「今日は体調が悪い」
「今は放っておいて」
「特に用事はないけれど呼んでみた」
せめてこのくらい教えてくれたら、飼い主としてはずいぶん助かる。中でも重要なのは、「痛い」「苦しい」「何となく調子が悪い」といった体調の変化である。それを早く把握できれば、病気の早期発見や治療にもつなげられる。
そして今、「猫の状態を知る」技術は少しずつ現実のものになっている。
例えば、猫の鳴き声をAIで分析する「MeowTalk」というアプリがある。スマートフォンで猫の鳴き声を拾い、AIによって大まかな状態を分類する仕組みである。声だけではない。猫が痛みを感じている時の「耳の向き」「目の細め方」「口元の緊張」「ひげ」「頭の位置」といった表情の変化から、痛みの程度を評価する「Feline Grimace Scale」という手法も研究されている。さらに、猫の顔画像をAIで分析し、痛みを推定しようとする研究も進んでいる。
現時点で、AIが猫の気持ちを完全に理解できるわけではない。しかし、ここではあえて、その先を想像してみたい。将来、AIがほぼ100%の精度で猫の状態を理解できるようになったとする。猫が鳴けば、「遊んでほしいです」と表示される。いつもより動かない時には、「お腹に痛みがあります」と知らせてくれる。突然走り回った時には、「体調に問題はありません。テンションが上がっています」と教えてくれる。飼い主として、これほどありがたい技術はない。特に健康面では、大きな意味を持つ。
前回考えた「猫が30年生きる世界」を実現するのであれば、長く生きるための医療と、猫の状態を正しく把握する技術は両輪である。寿命を延ばす技術だけが進み、その途中で生じる痛みや不調に気づけなければ、苦しい時間まで長くすることになりかねない。一方で、AIが小さな異変を捉え、「病院へ連れて行った方がよい」と知らせてくれるのであれば、長寿化を猫の幸福につなげることができる。健康管理という点では、AIによる状態把握は積極的に活用すべきである。ここに異論はない。
では、AIが猫の状態を100%教えてくれるようになれば、猫との関係についても、それで十分なのか。ここからは、健康管理とは別の話である。
私が考えたいのは、「相手のことを知ること」と「相手と関係を築くこと」の違いである。例えば、家族から、「今日はとても疲れている」と聞いたとする。仕事で何があり、どのくらい疲れていて、今どんな気持ちなのかまで、すべて正確に分かったとしよう。そこで、「なるほど、分かった」と情報を受け取って終わることもできる。一方で、
「大丈夫?」
「今日はゆっくり休んだら?」
「何かできることはある?」
と声をかけることもできる。どちらも、相手の状態は理解している。しかし、二つは同じではない。後者には、受け取った情報に対して、こちらから相手へ働きかける行動がある。知ることは一方向だが、関係は双方向である。相手から何かを受け取り、それに対して自分から何かを返す。その往復によって、関係はつくられていく。猫についても同じである。仮に猫が「ニャー」と鳴いた瞬間、AIが、「遊んでほしいと言っています」と100%正確に教えてくれたとする。その表示を見るためにアプリを開くこと自体、猫を気にかけているからこその行動である。興味がなければ、わざわざ確認することもしない。したがって、「AIで確認するだけでは愛情が足りない」と言いたいわけではない。それも立派な愛情の表れである。ただし、AIが担うのは、猫が発している状態や気持ちを人間に伝えるところまでである。「遊びたい」と分かったら、おもちゃを持って一緒に遊ぶ。「不安を感じている」と分かったら、そばに行く。「体に痛みがある」と分かったら、病院へ連れて行く。AIが情報を翻訳し、その情報を受け取った人間が行動で応える。この往復によって、単なる情報は関係へと変わる。そしてこれは、AIの精度が80%でも100%でも変わらない。次に問われるのは、AIの性能ではなく、知った私たちが何をするかである。考えてみれば、家族や友人との関係も、正確な情報交換だけでできているわけではない。相手が自分のために考えてくれた。気づいてくれた。声をかけてくれた。時間を使ってくれた。そうした小さな応答が積み重なることで、「自分は大切にされている」という実感が生まれ、信頼関係は深まっていく。だからこそ、AIがどれほど進化しても、人と人、人と猫との関係から「自分から相手に働きかけること」がなくなることはない。むしろ、AIが相手を理解する力を補ってくれる時代だからこそ、私たちには、その情報をどう相手への行動に変えるのかが問われる。
前回のコラムでは、「猫の寿命が30年になったら、その長い時間を支える責任が必要になる」と書いた。今回、その「30年」の中身についても考えるようになった。30年一緒にいるとは、単に同じ家で30年間生活することではない。相手の状態を知る。その変化に気づく。そして、自分なりの形で応える。その往復を積み重ねていくことが、「一緒に暮らす」ということなのである。
今日も我が家の2匹は、こちらを見ながら何かを訴えるように鳴いている。「どうしたの?」と聞いてみる。返ってくる答えは、やはり「ニャー」である。できれば、その意味は知りたい。だからこそ、AIの進化には大いに期待している。そして、いつかその「ニャー」の意味が完璧に分かる未来が来ても、私は同じように「どうしたの?」と声をかける。答えを知らないから聞くのではない。大切な相手だから、聞くのである。
すずのおと