2008.06.09
モディリアーニに学ぶ「人の本質を見抜く力」
日本とフランスの外交関係は、1858年に署名された修好通商条約に始まり、2008年の今年、交流150周年を迎える。記念として例年よりも盛んに文化・芸術の交流イベントが企画されているが、その一環で開催されている『モディリアー二展』に足を運んでみた。 アメデオ・モディリアー二は、今日でこそ、エコール・ド・パリの代表的な画家として世界に知られる。だが、注目されたのは亡くなる1年前、高い評価を獲得したのは死後のことだ。その半生は映画化もされているが、不遇なまま1920年に35歳で人生を終えた悲劇の画家である。モディリアー二は、プリミティヴアート(原始美術)に触発され彫刻家を目指した時期もあり、カリアテッド(女性柱像)の素描なども残している。しかし、最も馴染みが深いのは、晩年に身近な人々を描いた肖像画だろう。彼の肖像画では、モデルは皆、アースカラーの背景にひっそりと佇むように描かれている。どのモデルも面長で首が長く極端ななで肩で、少し首をかしげているように見える。そして、何よりも彼の独自の肖像画スタイルを特徴づけるのが無表情な顔にあるアーモンド形の瞳のない目であろう。構図が奇抜でもなく、色調も鮮やかではなく、一見すると地味な人物画である。にもかかわらず、モディリアー二の独自のスタイルで描かれたモデルは、圧倒的な存在感を放ち、見る人を惹きつける。それは、彼の鋭い人物観察眼のフィルターによって抽出された人の本質が描きだされているからに他ならない。当初、瞳のあった目が最終的に描かれなくなったのは、顔の表情の裏に隠れたその人の本質に目を向けたかったからではないだろうか。目があるとついつい反応して顔に注目してしまうが、アーモンド形の目のモデルを前にするとその人物の存在感に注意を払うことができる。この一見、没個性化とも捉えられるフィルターを使って、モディリアーニは、人の本質を観察する目を鍛え自己のスタイルを確立していったのだろう。 展示会で彼の洞察眼に感服しつつ、我が身を振り返ると、モディリアーニの死後100年後の現代を生きる我々の人の本質を見抜く技術は、彼のそれよりも高まっているのだろうかと疑問に感じた。技術・商品開発の進展によって、最近では携帯電話で写真や動画を誰でも気軽に撮影することができる。もちろん、レジャーで出かけた時に、美しいと感じた風景や珍しい光景を記念に撮影して思い出として保存できれば、後でもう一度見ることができ、他の人と共有する楽しみも増える。しかし、我々は、そうやって撮影して「取っておく」ことができることに安心して、実際のリアルな姿を観察することを忘れてはいないだろうか。また、3年ほど前に『人は見た目が9割』という本がベストセラーになって以降、人生や仕事において「見た目」の重要性を説き、外見や表情をよくするテクニックを紹介する本も多数出版されている。確かに、見た目は初対面時の印象を決定づける要素であり、つまらない所で失点するよりは、外見に気を遣っておいた方がよい。但し、どんなに外見を素晴らしく仕上げたところで、中身が伴わなければボロが出るのは時間の問題だ。さらに、見た目重視の最大の盲点は、自分が「見られる側」になった時には適応することが望ましいが、「見る側」になった時には、見た目で評価・判断してしまうと事の本質を見失うことがあるということだ。 昨今は企業の中でも、人の本質を見抜く技術の必要性の認識が高まっている。相互に理解しあい、多様性を受け入れ、上司と部下、社員同士のコミュニケーションが円滑になれば働きやすい職場環境を作り出すことができる。だが、それ以上に重要なことは、人の本質を見抜いた洞察のもとに、業務分配し、コミュニケーションを図ることにより、業務の生産性を向上させることにある。多くの企業において業務は組織・チーム単位で遂行され、日々の仕事の中で会議や業務報告など人と連携をとらざるを得ない。しかし、実際は業務に追われ、時間がないことを理由に相手と十分に向き合うことをせず、表面的なコミュニケーションの中で状況が進んでしまってはいないだろうか。中間管理職に求められる役割の一つに部下とコミュニケーションをとり、経営の目指す方向性に現場の活力を収斂させていくことがある。ここで大切なのは、部下への働きかけ方や質問の仕方などの方法論ではなく、相手を観察し、その本質を見抜くことだ。このベースの洞察力がなければ、どんなにテクニカルなコミュニケーションスキルを学んだところで、業務で成果を出す良好な関係性を築くことは難しいだろう。 では、人の本質を見抜きそこから洞察を得るには、どうやって人を見ればよいのだろうか。人事領域でも人を理解するためのアセスメントツールはたくさんある。課題解決、対人コミュニケーションなどのスキルを測るものもあれば、性格や業務適性・志向を明らかにしてくれるツールもある。最近では、脳やDNAの研究成果をもとに、経験によって培われた特性と遺伝的性質の両面から人の特性をあぶりだす手法もあるようだ。アセスメントツールは、現状の自己の強みや弱みを把握し、より成果を出すための指針を提示してくれる。またアセスメント項目は、人をどのような切り口で捉えるべきかといったフレームを提供してくれているとも言えるだろう。但し、ツールが与えてくれるのは明らかにしたいテーマの一側面を捉えた場合の人の見方に過ぎず、実際の仕事や人間関係の中で人を多面的に見るときのフレームとしては、限界があるだろう。 もちろん、人を見るフレームは人生経験によって百者百様であり、その見方こそが個性につながる。但し、表面的な言葉のやり取りや印象で相手を判断し、評価を決めつけてはならない。そのためには、相手をよく観察し、言動に隠された行動のスタイルや思考のスタイルを発掘し、さらにはそのスタイルの源泉にある動機を突き止めるレベルで相手への理解を深める必要がある。日々の様々な場面で遭遇する人の言動の背景にある一貫性を明らかにすることこそが、人の本質を見抜くことになるのだ。これは、相手の弱み探しをすることではなく、人と何かを成し遂げるために関係を築く中で必要な協業のスタイルを模索することにつながる。人の本質に対する洞察に基づいて、お互いの強みを活かしながら業務にあたることができれば、多くの企業の活力も生産性も向上し、それが企業の競争力の源泉となる。そして、これは企業において管理職だけに必要な力ではない。たとえ新入社員などの若手であっても、組織で人と連携して活動する以上、こういった人に対する洞察は求められるのだ。 ついつい分かりやすい刺激に反応して相手を判断し、わかった気になってしまいがちだが、相手の肖像画が描けるくらい再現性の高い個性を見抜く力を磨くことは、終わりはないがチャレンジに値する自己鍛錬であろう。 スパイラル