2008.04.21
メトロ副都心線6月開通、ターミナルレス時代の都市戦略
東京メトロ副都心線が6月14日に開通し営業運転を始める。明治通りの下を走り、渋谷―新宿―池袋という正に副都心を最短で11分(急行)で結ぶ。池袋から以西は有楽町線を介して西武池袋線、東武東上線との相互乗り入れを行うことになり、和光市から渋谷までが乗り換えなしの直通となり、最短で25分で結ぶことになる。これまで和光市から渋谷へ行くためには、一度池袋でJRに乗り換える必要があり、最短でも27分(東武東上線経由、乗り換え時間を含まず)かかっていた(有楽町線経由だと34分)。実際には乗り換えによる待ち時間や階段の昇降などもあり、その時間差や心理的な負担の解消はさらに大きなものだ。それらが副都心線の開通で一挙に緩和され、その利便性は飛躍的に高まることになった。 このところ巷間をにぎわしている話題は、副都心線の開業で顧客の流れが変わること、そしてその影響を大きくうけるであろう池袋が地盤沈下するのではないかということである。池袋は埼玉県西部の住民が都心に出るとき、埼玉県中央部の住民が新宿方面にでるときの拠点であり、池袋は1日の乗降客数は新宿に次いで2位(2006年、JR調べ)を誇る。埼玉西部からの乗客を運ぶ西武池袋線、東武東上線があり、埼玉中央部からの埼京線、湘南新宿ラインが乗り入れ、それらの乗客を都心に運ぶために山手線、メトロ丸ノ内線、有楽町線がある。このうち副都心線の開業によって、西武池袋線、東武東上線から新宿渋谷方面へのターミナルではなくなり、池袋は単なる通過駅となる。この結果として、それまで買い物で池袋の百貨店を利用していた顧客が、池袋を素通りして新宿や渋谷に流れるのではないかというロジックである。 実は池袋では、今回と同様のことが起こった先例がある。それは1985年の埼京線の開業と数年後の新宿とそれ以南までの延伸である。大宮や浦和など今のさいたま市を含む埼玉県中央部の居住者が都心で買い物をしようとすると、京浜東北線で上野方面を目指すか、赤羽で赤羽線に乗り換えて池袋にきて買い物をするか、さらに池袋で山手線に乗り換えて新宿を目指すかしかなかった。池袋は赤羽線のターミナル(終端)である。池袋の百貨店は埼玉県の顧客でにぎわっていた。その後赤羽線が埼京線となり、赤羽駅での乗り換えなしで大宮から一気に池袋に来ることができるようになった。このときの埼京線のターミナル(終端)は池袋だった。これによって上野に流れていた顧客は、より利便性のあがった池袋を目指すことになった。なにより池袋には、上野にはない西武百貨店やパルコなどがあった。しかし埼京線が新宿まで延伸した(池袋がターミナルではなくなった)ことで、顧客は池袋で乗り換えることなくそのまま伊勢丹や三越のある新宿を目指すこともできるようになった。埼京線の開業によって、埼玉中心部の顧客の流れが変わり、まず上野が顧客を失い、その後池袋を素通りする顧客も増えてしまった。 これと同じ現象が副都心線の開業で再現されようとしている。副都心線を利用する埼玉県西部(所沢や川越方面)の居住者の新宿、渋谷方面への利便性が飛躍的に高まるため、池袋を素通りして新宿を目指す顧客が増えることは容易に想定できる。池袋が埼玉県西部の顧客の何割かを失うのは相当な打撃に違いない。新宿の顧客を池袋に呼び寄せることができればいいが、池袋に新宿以上に惹き付けるものがあるとは思えない。 池袋駅周辺には、西の東武百貨店(日本でも有数の売り場面積を誇る)と東の西武(デパート、パルコ、LOFT)、ビックカメラ、LABI(ヤマダ電機)などがあり、また東側、西側ともに飲食街が密集している。さらに池袋駅からはすこし離れるが、サンシャインシティがあり、30年前の竣工時は高さ日本一を誇ったサンシャイン60がそびえている。西側には立教大学のキャンパスもある。ただ街づくりとしては中途半端感があり、銀座のような洗練されたイメージではなく、どちらかというと野暮ったいイメージをもっている方が多いはずだ。上野よりはまだましだろうというところか。池袋の開発は、サンシャインシティの開発が30年前に行われた以降は目ぼしいものはなく、山手線東側や六本木近辺の開発ラッシュと比較すると、取り残された感があり人を魅了する魅力は明らかに劣っている。副都心線の計画は、20年以上も前から計画されてきたことだ、さらに池袋は埼京線の開業で顧客を失った経験もしている。そういった過去の経験を踏まえて予想できる将来を見据え、豊島区と東京都を中心に、民間企業を巻き込みながら、池袋の街づくりを本気で検討すべきだった。お上の指導がなければ、密集した商業区画を整理することはできない。今のままでは池袋の商業地は次第に衰退していくことだろう。 新宿はどうだろう。新宿東側は古くからの歓楽街であったが、商業施設は元々多かったが、さらに96年にタイムズスクエア建設し高島屋を誘致して、新しい街を形成するなど、商業施設としての拡充と陳腐化の防止に力をいれてきた。高島屋の進出に伴い、伊勢丹もリニューアルするなど、民間の企業努力もあって、常に新しい街としてのイメージアップを怠らなかった。その結果、新宿東側は街としての魅力は池袋よりも高くイメージもよい。池袋の顧客を取り込むことは可能だろう。副都心線の開業で、最も利益を享受することができるはずだ。同じ新宿でも西側は大きな打撃をうける可能性が高い。副都心線は新宿駅を通らずに、すこし東の新宿三丁目を通る。副都心線で池袋方面から新宿に流れる顧客は新宿三丁目で下車することになる。改札をでて見あげれば、そこには目の前に伊勢丹や丸井、がそびえている。西側は元々オフィス街として開発された背景もあり、商業施設は弱い。百貨店では小田急、京王百貨店が出店しているが、魅力は東側の百貨店群に比べれば弱いだろう。さらに新宿三丁目から西側に抜けるためには、地下街を15分は歩かなくてはならず、よほどのファンでなければわざわざ足を運ぶことは考えにくい。これにより新宿西側は埼玉西部からの顧客の大半を失う可能性が高い。 そして副都心線の当面のターミナルとなる渋谷はどうだろうか?。渋谷はいまのところ副都心線の開業の影響は軽微とみる。しかし2012年に副都心線と東横線が相互乗り入れを始める。これによって顧客の流れは激変する。渋谷が東横線のターミナルではなくなることで、渋谷駅の通過客は増えるかもしれないが乗降客は減ることになり、渋谷に一大商業圏を形成している東急グループには大きな打撃になる。この相互乗り入れが成功すれば、JRの湘南新宿ライナーの開通によって食われた横浜―山手線西側間移動の乗客を、もう一度東横線に呼び戻す効果が見込める(東横線は渋谷での乗り換えが必須なので、乗り換えなく新宿などに行ける湘南新宿ライナーの利便性は計り知れない)。しかし一方では東横線で渋谷を目指した顧客が、乗り換えなしで新宿を目指すことができることになり、それまでは渋谷で買い物などをしていた顧客が新宿方面に流れる可能性がある。相互乗り入れを決めた東急電鉄の判断が英断だったかどうかは、東急グループの渋谷の街づくりに対する提案力にかかっているといっていい。このことを見越して、東急グループはすでに渋谷の再開発に着手しはじめている。今の重要プロジェクトは渋谷東側の東急文化会館跡地に、高層複合施設を建設している。これによって横浜方面から新宿を目指す顧客を渋谷にとどめること、そして埼玉西部から新宿を目指す顧客を、さらに渋谷まで誘因することを考えている。 かつては山手線上に私鉄や近郊通勤電車のターミナル(終端)があり、乗継客や乗降客の利用を見込んで商業地域が形成され街が活性化されていた。渋谷、新宿、池袋などはまさにその典型だ。しかしJRの近郊通勤電車が山手線を起点とするのではなく、出発点から最終到達点まで走りきるようになり、また東京メトロとの相互乗り入れにより山手線上の私鉄ターミナルが姿を消しつつある昨今、ターミナルを基点に栄えていた商業地域は、電車を乗り換えるために下車する必然性をもった乗降客目当てではなく、別の魅力で顧客を誘引(下車させること)しなくてはならなくなった。また大手のデベロッパーによる街の再開発、特に丸の内、汐留、六本木に見られる高層ビルを起点にオフィスとハイグレードなブティックと飲食街を中心とした街づくりが、多くの人の心をとらえ、ターミナルを中心としなくても街の魅力が高ければ人の動きは変わることを実証した。今まで栄えていたターミナルを基点とした商業地域も、わざわざ下車してみたいと思う魅力をもっていなければ、顧客は足を止めないだろう。顧客に対して魅力的な街そのものを提案できるか、それがターミナルレス時代に求められる都市戦略である。それは一企業の努力で行うものではなく、自治体と企業が協働で仕掛けていくべきものだ。ターミナルは着々と姿を消しつつある。まずは池袋、2012年には渋谷、そして翌年には東北縦貫線によって上野ターミナルが消えることが決まっている。 マンデー