2020.10.26
SHIFT ~ 資本主義の選択肢
「日も差さない樹海の中で道を見失い彷徨っているような心地だった」コロナ禍で仕事を失った舞台演出の技術者の声だ。彼は家賃も払えなくなってから4カ月後、やっとのことでVRイベントの演出チームと出会う。手探りで見つけ出した活路だった。
彼の技術は、不要不急のレッテルを張られて封印されたひとときを多くの人の日常に返した。彼の技術に触れた人たちは、そのひとときが、けっして「不要不急」ではなかったことに気付かされた。そして彼は、自分の技術が社会的な資産として活かされたことに気付かされる。
深い山の奥にひっそりと佇む泉に一滴の清水が落とされて水鞠を弾く。このエピソードを聞いた時、そんな心象風景が浮かび上がり、水毬はこめかみの奥に波紋をつくった。一週間分の思索を凝縮したような数十分を潜り抜けると、その一滴は、大海原へと続く大河のような景色となっていた。
目の前に現れたその景色について話したい。
それは、近未来の日本の景色だった。そこでは、瞬時に民間の宿泊施設が病床にシフトした。普段は乗客を詰め込んでいる車両が物資を運ぶ物流システムへとシフトした。自動車の部品工場はマスクやフェイスシールドの生産工場にシフトした。いつも使っているライフログ関連アプリは防疫導線を報せるアプリにシフトした。モノや仕組みだけではない、人と人のスキルも瞬時に、縦横無尽にシフトしていた。
国民は、国から400万円ほどの賃金を支払われていた。生活の糧としても良いし、学費として自分に投資をしてもよかった。しかし、それだけであれば古典的なベーシックインカムだ。だが、それだけではなかった。全ての国民は18歳になると国家公務員になっていた。
国は、国家公務員である国民一人ひとりの職能や適性を知っていた。国は、国民一人ひとりの現在の悩みも将来の希望も理解していた。国民は国の大切な資産だったからだ。国は、国中の企業の職場を知っていた。国は、国中の企業の人財ニーズを理解していた。企業は国の大切な資産を活かす場だったからだ。
企業は、国に対して人財を募集し、求める職能に見合った報酬を提示していた。国は、企業の募集に応じて人財を斡旋していた。国民一人当たりに斡旋される職業は、少なくとも数十件、多い人には数百件も殺到した。捌いていたのはAIだ。国民は、斡旋された職場の中から活躍の場を選んでいた。選んでいたのは国民一人ひとりの意思だった。企業と、国と、国民が、フェアな競争環境をつくり、人財市場をつくっていた。
企業は、採用した国民の人件費を直接本人には支払わず、人件費税として国に納めていた。採用された国民は、企業がその国民のために支払う税金の額に応じた賃金を受け取っていた。この営みには、企業以外の法人や行政機関も参加していた。
国は、国民が自らの職能を高めるための場をつくっていた。企業も、採用活動の一環として国民が自らの職能を高めるための場をつくっていた。国民が自らの職能を高めるためにサービスを提供する企業も存在していた。国民は、自らの収入で自らの職能開発に投資をしていた。投資を導いていたのもAIだ。選んでいたのは国民一人ひとりの意思だった。
国は、デジタルコスモスを形成し、全ての企業は、その生態系の一翼を担っていた。国民は、デジタルコスモスの中での暮らしを常態化していた。
国民は、生涯をひとつの企業に囲い込まれることがなくなっていた。本人の意思によりひとつの企業のひとつの職務に長期間従事している国民もいるが、多くの国民は、自身の専門性を活かして複数の企業の様々なプロジェクトを渡り歩いていた。国民は、仕事探しのための樹海を彷徨っているような時間を使わなくてもよく、かつてそのために費やしていた時間を自分磨きに使っていた。国民は、本人の意思で休職する以外は、概ね満足できる仕事に就いていた。貧富の差は飛躍的に縮まり、失業率は着実に減っていた。
新たなウイルスがまたパンデミックを起こしていた。あのときの戦時下のような不安が国境を超えて世界を侵食していた。東京はロックダウンされ、伝統的な舞台劇の現場に復帰していた彼はまた仕事を失う。しかし一週間も経たないうちに、彼は別の職場で活躍していた。
方丈の庵