2008.03.12
スマイルにも対価を払いませんか?
OECDの先進4カ国(日本、米国、英国、ドイツ)の労働生産性上昇率(1995年~2003年)に関する比較データによると、日本は製造業におけるそれは、4か国中トップの伸び率(約4%)を示しており、次いで米国(3%)となっている。しかし、日本のサービス業の伸び率は、4か国中最下位で、1%に満たない成長率になっている。日本企業が提供するサービス業の質を考えみると、いま一つ納得がいかない結果だと感じるのは私だけではないはずだ。
ある新聞に紹介されていた記事よると、海外から赴任した外資系高級ホテルの総支配人は、「日本人社員の顧客対応は世界一だ」とコメントをしていた。世界のホテルでのサービスを見てきた総支配人の話だけに、そこにはそれなりの説得力がある。確かに日本人のきめ細やかなサービスに慣れていると、海外に行った時に、どうも細かいところが大雑把に感じる事がある。逆に言えば、日本がサービス過剰なのかもしれないが、そのようなサービス精神=きめ細やかさは、モノづくりの現場では様々な発見をもたらし、製品に還元されてきた。米国の女性ボーカリスト「マドンナ」は、日本の至れり尽くせりの高機能トイレ(温い便座と快適な洗浄機能)に大感激したらしく、米国に帰ってからも「日本のトイレが恋しい」と言わせた程だ。まさに日本人のきめ細やかさを感じる製品の一つではないだろうか。
そのきめ細やかさを考えると、日本のサービス業の労働生産性の伸び率が諸外国に見劣りするのかが気にかかる。
今回はOECDのデータの信憑性はさておき、この事実をきっかけに、日本におけるサービス業、特に対人サービス労働における、スマイル0円問題にも触れながら考えてみたい。
まず、対人サービス労働における一般的な問題は何か?すぐに思い浮かぶのは、「サービスはタダという過去からの日本人の意識」があげられるだろう。次に考えられるのは、サービスの良し悪しが売り上げを大きく左右するという事実を、きちんと管理できている企業が殆ど存在しないこと。更に、対人サービス労働に従事する各業界のトップレベルの人材の賃金は、他業種と比較すると見劣りするというのも問題だ。他にも上げられる問題はあるだろうが、この3点は誰もが認めるところではないか。
1つ目の、「サービスはタダ」というに日本人の意識は、無形の財に対価を支払う習慣が無い事に始まる。以前は、日本の出前はタダであった。生業店であるそば屋は、店頭以外の売り上げを伸ばすために出前を始めたが、そこで出前サービスに対価を求めなかった。その代わり、そもそも無料で運んでもらっているからか、そば屋の出前の時間がいい加減なことに、クレームを言うなどという事は無く、「まだですか?」と電話をすれば、決まり文句の「今出るところです」という決まり文句を聞いて、「そば屋だから仕方ないか」と笑っていたものだ。
一方で、今の生活実態をよく見てみると、私たちは無意識のうちにサービスにも対価を支払っている。最もわかりやすいサービスは「時間の短縮」に支払う特急料金だろう。そういった意味では、今や出前もタダとは言えない。宅配ピザなどはその典型だ。彼らの開業当初のセールスポイントは、出前のスピードと配達にかかる所要時間を保障することであった。ピザ屋の出前は、“そば屋の出前”ではないということを徹底的に消費者にアピールし、30分以内に届かなかったら半額にするなど、時間の順守は、価値あるサービスであるということを消費者にしっかりと刷りこんできた。深く考える間もなく、約束どおり早くアツアツのピザを届けてくれるなら、多少高い気もするがピザのデリバリー・サービスは、消費者に受け入れられてきた。
こと食べ物の出前に関しては、時間短縮はサービス価値として消費者に認められたと言える。
一方で、時間を十分にかけた丁寧なサービスに価値を見出すこともできる。女性にとって、洋服や靴の買い物にはじっくり時間をかけて買いたいものだ。ここに、2つ目と3つ目の問題(サービスの良し悪しの差と購買の因果関係と対人サービス労働の低賃金問題)のヒントがある。洋服や靴などの買い物で決定的な差をもたらすサービスの価値は、販売員の丁寧かつ、きめ細やかな対応だ。お客さまの気持ちを巧みに聞き出し、時には本人が気のつかないようなアドバイスなども交えて、商品の魅力と共に買い物の楽しさや、お客さまの気持ちを高揚させていく。他の店でも買い求めることができる商品(ヴィトンのバックも、フェラガモの靴も都心ならどこでも買える)を、自分の店で買い求めてもらうためには、底の浅い接客では難しい。そこでは、お客さまが納得して頂けるだけの時間をかけ、きめ細かな対応が要求される。その対応次第では、その販売員を指名して買い物をする関係にまでなっていくのだ。つまり、その販売員のサービスに満足しているからこそ、その店舗でわざわざ買うのである。このようなケースでは、自分のためにこんなに時間をかけて対応してもらったことに対して、顧客は価値を見いだしている。一見、顧客のわがままを聞いているだけのように思うかもしれないが、固定客となったお客さまは、販売員のアドバイスを当てにして買い物をしている。顧客の要望や相談事は様々だ。時には私的な相談もあるだろうが、それに耳を傾け、気持ちよく対応して、アドバイスしてくれる事に価値を感じている。
しかし、どんな時も気持ちよく対応するのは、そう簡単にできるものではない。
自分の気持ちを表に出さず、お客さまに合わせた言葉と態度で応対する職務特性の仕事を「感情労働」と言う。米国の社会学者「アーリー・ホックシールド」が第三の労働形態として感情労働を提唱したことによって広がった概念だ。因みに、第一と第二の形態は、肉体労働と、頭脳労働だ。
日本の感情労働は企業の経営者から従業員に対するCSの要求から始まっている。CSを追求することで競合他社に差をつけ、少しでも多くの顧客に自社の商品やサービスを利用してもらおうという魂胆だ。しかし、皮肉な事に企業が社員に対して顧客満足を追求した結果、サービスの価値を低下させてきた面もある。その典型的な例に「スマイル0円」問題がある。このメッセージの問題は、スマイルはタダと言ってしまったために、スマイルはサービスではありません、対価は不要ですと言ってしまったことだ。私が従業員であったなら、何のために顧客に笑顔で接するのか、その意味と価値を全く無視していると感じるだろう。無価値(0円)なスマイルをさせられる従業員はたまったものではない。素敵なスマイルがあるからこそ、お客さまが来ると言いたいのであれば、企業は従業員のスマイルに、消費者はサービスとしてのスマイルには対価を支払うべきだ。
同じ買い物をするのであれば、あの店の○○さんからから買いたい、と思ったことは誰でもあるはずだ。何故、そう思うのか、その理由を細かく分けていけば、「その店員のスマイル」があるだろう。真のサービスに、良いスマイルは不可欠だ。
そのスマイルがあるからこそ、お客さまが喜び、売り上げも増加するのであれば、企業の付加価値向上に貢献している。私たち消費者も同じものを買うのであれば、より良いサービスを受けられるところで買い物をしたいと思っている。ある程度の値段を払う商品であれば尚更だ。そう考えると、スマイルは0円であってはならない。そのスマイルがあるからこそ、利用したいサービスや商品があることを、企業も消費者も理解し、良いスマイルは有料という認識を持って行動すべきだ。
北京五輪開催まであと数カ月となった。その時期に北京の街を歩けば、あちこちの商店で世界の人々に最高のスマイルをふりまく店員の姿があることだろう。残念ながら、私は北京オリンピックに行く予定はないが、北京で見るオリンピック仕様のスマイルよりも、屈託のない笑顔で話しかけてくる、バリ島の屋台のオヤジの笑顔を見たい。その屋台で食べるサテは、早い、安い、うまい、の三拍子がそろっている上に、オヤジの笑顔も最高だ。ここには、世界最高のスマイルがある。今度行ったら屋台のオヤジに、「ツリはいらないよ」とでも言って、スマイルにもお金を払ってこようと思う。
アーリーバード