2017.11.13
眠りにつく町
紅葉に包まれた山あいを走る電車は、徐々に速度を落とすとゴトンと小さく揺れて停まった。夕焼けに染まる小さな駅に降り立つと改札の向こうに寂れた商店街が見える。同窓会の案内状を確かめつつ会場の居酒屋を探すが、ほとんどの店で錆びたシャッターが下りている商店街では苦も無く見つけることができた。ひんやりとした風が歩道の枯葉を揺らしている。ここは40年ぶりに訪れた小さな田舎町だ。
久々に会う友人たちとの話はアルコールの摂取量とともに盛り上がる。賑やかな宴も終盤にさしかかるころ、クラスであまり目立たなかった男が隣の席に割り込んできた。盃をかわしながら近況を尋ねると地元の役場を引退して、今は町興しのボランティアに取り組んでいるという。― へぇお前がねぇ と思い、どんなことをしているのか尋ねると、昨年から町興しのアイディアを出し合うための集会を取り仕切っていて明日で3回目だという。その集会には地元で働く大人はもちろんのこと、小学生くらいの子どもや老人たちも参加しており、遠くから大学の教授や大学生のボランティアも参加しているらしい。
とても意欲的で良い話しのように思えたが、なんとなく腹に落ちない感覚が残る。どんなアイディアが出ているのかといえば、町の名産品をつかったバーベキュー大会、廃校になった中学校の校舎での伝統工芸教室、豊かな自然を堪能するハイキング、町内の空き地を利用したお祭りや仮装イベント、古民家を改修した民泊事業などだという。何が狙いなのかを尋ねると、観光で訪れる人を増やして町を盛り上げたいらしい。腹に落ちない感覚は一層強くなった。
その日は駅前の小さなビジネスホテルに泊まり、翌日は友人の誘いで町興しの集会に参加してみることにした。翌日、その集会は午後からの開催だったため、午前中は懐かしい町を散策した。家々は活力を失った細胞のようにひっそりとしており、40年前に暮らしていたころの輝きは消えていた。霜月の空に響く百舌の鳴き声は、人通りのない景色によく似合う。町は明らかに老いており、静かに眠りにつこうとしていた。
集会には30人くらいが参加しており、想像した以上に盛り上がっていた。この町ならではの良さを再発見しよう、町民同士の絆を深めてチャレンジしようと前向きな発言が飛び交っている。ところが、どのようにすればアイディアを実現できるのかを話し合う段になると空気が変わってきた。聞けば昨年から、アイディアは出るものの思うように実行に移せない状態が続いているらしい。その原因については誰も触れなかったが、町の体力がなくなっているのだと思った。
観光客を集めたいという目的を考えると、アイディアにも問題があるように思えた。町の名前をとってしまえば、どの町でやってもよさそうなアイディアばかりだからだ。この町ならではの良さを発揮しようというのだが、国土が狭い日本の地方都市は、どこも似たような風情だし、集客力のある観光資源を持つ町も限られている。この町も例外ではなかった。
誘ってくれた友人から感想を求められたので、話し合いの内容や出されたアイディアに対する率直な意見を述べた。そして30年から100年の時間軸での話だが、と前置きをして「この町と近隣のいくつかの町を、もっと暮らしやすくて、観光客も来やすく訪れたくなる町(名指しした町には海外でも知られている観光資源があるし、新幹線の駅も近い)に集約して、皆さんでそこに移住した方が良いのではないでしょうか」と提案した、もちろん冗談ではなく本気で。ぽかんと場の空気が止まったあとに、大人たちは嘲笑し、老人たちの目には怒りが宿り、子どもたちの目はきらきらと輝いた。腹に落ちなかった感覚は、今度は胸が重くなるような感覚に変わった。
地方創生の掛け声の下、このような取り組みは全国各地にあるらしい。テレビや新聞では成功しているという事例も報道されているが、その成功が長続きするのかどうか心配になるような事例もある。元々優れた観光資源や歴史的な文化遺産があったり、交通の便に恵まれていたりするなど地の利がある町は良いが、多くは上手く行っておらず、ここにも新しい格差が生まれているように思える。町民の夢を紡ぐ集いも、確たる成果が出てこなければいずれ途絶えていくだろう。夢から覚めたその時、この集いで盛り上がっていた記憶は、町民の絶望を一層深くしてしまうのではないだろうか。日本中でそのようなことが起きているとすれば、地方創生の掛け声は罪深い。
その一方で、それでも今を生きる町民にとっては、このような集いがあるだけでも大きな意味があるのかもしれない。あるいは一過性の成功であったとしても、そこに関わった人々の人生にとっては大切な思い出になるのかもしれない。誰も100年後にまで責任を持てとは言えないのだから。
1600年に1300万人だった日本の人口は100年後に3000万人となり、明治維新以降に更に増え続け1967年には1億人を突破する。ひたすら山を削り、海や川を埋め立てながら、人々の棲息地も日本の隅々に広がっていった。その人口も10年前にピークを迎え、これからは廃屋や廃村を増やしながら減少していく。そういえば高度成長時代に山裾を削って開発された住宅地がこの町の近くにあり、数年前に大雨による土砂災害がおきた。町は一夜にしてもとの山裾に帰った。心の痛む不幸な災害だが、住む人が減り十分に手当ができなくなる土地が増えて行くなかで、他人事ではない町も少なくないだろう。
私に100年先を見る目はない。しかし、この町の子どもたちが孫をもつ頃には、日本の国土は相当に様変わりしているだろう。少なくとも町興しに取り組んでいる日本中の町々が、沢山の観光客を集めて40年前の活力を取り戻している絵は想像しにくい。様々な国籍を持つ人たちが日本の隅々に移り住み、地方が活力を取り戻している絵も、今は想像しにくい。
文化も教育も産業も、人が豊かに暮らすためには一定の人口密度が必要だ。その密度を保つためには、日本中にコンパクトで高質な町をつくり、そこに数百年の時を経て分散してきた人々の暮らしを集約していく方が良い。そんな町と町を最新の交通システムが繋いでいる。そして、集約された町(多くの人にとっては新天地)では人々が手を携えて新しい文化を育み、美しい景観をつくり、教育や医療などの環境を整えながら、魅力的な産業の開発にいそしめば、地方創生も実現するかもしれない。しかし、今暮らす土地に現実をゆだねている人々にその判断は難しいだろう。国にしか舵取りができないことだが、さて。
集会後の懇親会は辞退して夕焼けに染まる小さな駅に向かった。途中まで送ってくれた友人には、配慮の足りない発言だったことを詫びた。彼は「いいよ いいよ、そういう率直な意見も参考になるから」と言ってくれた。眉根を寄せたその笑顔に、少しだけ救われた気がした。
それじゃぁと手を上げて踵を返した彼は、ふと何かを思い出したように少し上を見てから振り返った。「あのさぁ、子どもたちはね、すっごい嬉しそうだったよ。この集会であんなに目をきらきらさせてたの初めてじゃないかなぁ。これからはあいつらにもっと色んなことを教えてやらなきゃなって思ったよ。他の世界とか、色んな暮らしとかさぁ、それから、あいつらの考えをもっと引出して見たくなったしね。だってさぁ、あいつらは未来そのものだからね。」彼はそう言うと、今度は満面の笑顔を見せてくれた。
小さな駅舎で電車を待ちながら、彼の笑顔の内側にあるものに思いを巡らせていた。彼は現実も解っているのだろう、やろうとしていることの難しさも。解っていながらなんとかしようとしている彼の愚直な思いが、重かった胸の中に暖かくしみ込んできた。
到着した電車のがらんとした車両の椅子に身を沈めると、静かに眠りにつこうとしている町を染める紅葉のような宴を後にして、電車はゆっくりと走り始めた。
方丈の庵