2009.06.05
あなたは“思考のアウトソーシング”の罠に嵌っていませんか?
あなたが自ら思考しているといえることはどれくらいあるだろうか。また、何を自ら思考するものとして選択しているだろうか。
人は意識的か無意識的かは別として、ある一部の事柄については自ら考えることを放棄し、他者の思考に依存している。
この現象を以下では“思考のアウトソーシング”と呼ぶ。思考のアウトソーシングは決して珍しいことではなく、人々が日常的に行っていることだが、いくつかの事例を通じて、そこに内在する問題と留意すべき点について考えてみたい。
まずは多くの企業でよく見受けられる、役割志向や効率化・労力削減を目的として推進されてきた機能分化に関わる、思考のアウトソーシングを取り上げてみたい。
経営者が自社の生き残りをかけて、自社にはどのような経営課題があり、何を解決すべきかなどについて考えることは当然といえる。では、その他の社員はどうだろうか。多くの企業を訪問した際に違和感を覚えるのは、管理者クラスとやり取りしていても彼らの興味の範囲が自身の担当業務や組織に限定されており、ビジネスについて語ろうとしない、訊こうとしないということだ。どんな経営者も所詮は数社の経営しか経験していない、まして現在のような世界的な不況時代を乗り切った経験を持つ経営者はほとんどいない。そのような中で、管理職クラスが自社の経営層の環境認識や打ち出される方針を鵜呑みにして、ただ粛々と自身の担当業務を遂行しているだけでよいのだろうか。
また、組織内における過剰な機能分化についても同様である。これはプレゼンテーションする人とプレゼンテーション資料を作成する人が別々というレベルから、経営企画部門が経営戦略を考えて経営者がその可否を判断するというものまである。特に後者は、最近多くの組織で見受けられる構造だが、一部の経営者が自身の機能を放棄している原因ともいえる。そのような企業では経営者と経営企画部門が政治家と官僚のような関係性になってしまい、経営者自ら自社戦略やビジネスについて考えるというよりも、企画スタッフの策定した基本案の不足や改善点を見い出す思考(ベストなものを求めるより問題点を探しにいく思考)に陥りやすい。
次に一般的によく見受けられる例として、専門家といわれる人への思考のアウトソーシングについて取り上げてみたい。 例えば、「行列のできる法律相談所」という番組がある。この番組では、ある出来事を取り上げてそれが有罪か無罪かを4名の弁護士が判定するというものだが、4名の弁護士が全員一致で見解が揃うことは滅多にない。しかし、我々は1人の弁護士に相談して得た意見を正しいものとして鵜呑みにしがちである。
医者についても同様のことがいえる。私の祖父はひどい肩こりや手足のしびれを感じて病院を訪れたが、ただの過労・精神的なものとして診断された。その1年後、彼は突然歩けなくなった。脳外科・整形外科などを数件訪問したところ、首の骨が曲がって首の神経が圧迫されていることが原因ということだった。彼は医者の診断を鵜呑みにし、自身の感じる違和感を放置してしまった結果、手術後も後遺症が残り日常生活に不自由することとなった。
このように国家資格で専門性を保証された専門家の意見ですら必ず正しいということはあり得ない。まして、コンサルタントや社内の専門スタッフ(経理担当や人事担当)などの意見は尚更である。このような人の大半は、一部の経験や他者から伝え聞いたこと、書籍で学習した知識や考え方をもとに自身の見解を述べているに過ぎない。しかし我々はわからない・不慣れな分野においてしばしば自身の思考を放棄し、このような人たちの意見を鵜呑みにする。
このように考えると、“思考のアウトソーシング”を無意識に行ってしまっていることも多いのではないだろうか。ただし、思考のアウトソーシングそのものを否定するものではないし、全てを疑って全てを自分で考えるべきだと主張しているのでもない。まず思考のアウトソーシングを行っている事実を認識すべきであり、そのうえでどのようにアウトソーシングすべきかを模索することが大切だ。思考のアウトソーシングを行う際に留意すべき点は2つある。
1つ目の留意すべき点はアウトソーシング先についてであり、アウトソーシングすべき相手かどうかを見極めることが必要である。この場合、アウトソーシングすべき人を見極めるだけでなく、彼の情報ソースを把握することが求められる。どれだけ思考力のある人でも情報ソースを間違うと正しい結論を導くことができないためだ。
もう1つの留意すべき点は、アウトソーシングすべきでない思考を見極めることだ。先程の例を取れば、管理職クラスが、自社がどのような現状にあり今後どうなるかについて、自分で考えることなく経営者の思考に依存してはならないと考える。あなたにとって、アウトソーシングしてはならない思考とは何だろうか。企業が組織機能の一部をアウトソーシングする場合に起こる問題として、ある会社では人事部を丸ごとアウトソーシングしてしまい、評価や昇格が機械的に行われることで社員のロイヤリティーやモチベーションを大幅に下げてしまったということがある。つまり、本来、外出しすべきでない組織の基幹機能をアウトソーシングして、組織全体が機能不全に陥りかけたケースといえる。これは個人の思考でも同じではないだろうか。自社のことを経営者だけに任せていつの間にか会社が亡くなるなどは、まさにその例といえるだろう。
思考のアウトソーシングは全ての人が行っているものである。しかし、思考のアウトソーシング先およびアウトソーシングすべき思考を効果的にマネジメントできるかどうかによって、思考のアウトソーシングはその人にとって善にも悪にもなり得る。アウトソーシングを効果的に行うことは、他者の思考を有効に活用することであり、大幅な時間や労力の削減に繋がる。
思考のアウトソーシングの罠(無意識のうちに他者の思考に依存し、他者に振り回されたり判断を誤ること)に嵌ることなく、他者の思考と自らの思考を最大限活用できるように、自身の“思考”を一度検証してみてはいかがだろうか。
モンブラン