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2009.04.13

自分の意見は、お持ちですか?

4月に入り、昨年9月の麻生政権発足以来下がり続けていた、内閣支持率は26.3%と、先月より8.6ptの上昇を見せた。この内閣支持率と麻生首相の度重なる失言や政策の迷走、果ては教養・常識の無さなどの人間性に関わる問題など、毎日のようにマスコミが面白おかしく報じている。そのような中、ある数字が目についた。「あなたはマスコミを支持しますか?」という調査の数字だ。この調査は、09年2月23日から09年5月25日までを調査期間としたネット調査であるが、途中経過を随時見ることができる。現在1万人を超える一般生活者からの投票が受けつけられ、未だ尚、継続している調査である(内閣府が実施している世論調査の調査票の回収数が、せいぜい5~6千人の規模であることを考えると、その規模はかなりのものだ)。数字を確認してみると、なんとマスコミ支持率は2.0%であった。情報の伝え手であるマスコミが、内閣支持率を云々言えたものなのかと感じずにはいられないものであった。回答者がネットユーザに偏っていることや、多少抽象的な設問と回答選択肢であったこともあり、世の中の意見を代表している数字であるかは疑わしいが、非常に面白い数字だと感じるのとともに、調査終了時にはどのような数字に落ち着くのかは気になるところだ。

このマスコミ支持率は、雑誌を読んでいてたまたま目に留まったことなのだが、この視点を投げかけられたことをきっかけに、日々流されている情報を、ただただキャッチするだけになっている自分に気が付いた。面白おかしく報道されれば、そのように情報をとらえ、そこから先にある本質に迫ることをしなくなっていた自分に気が付き、ぞっとした。この気付きを逃していたら、マスコミが、手のひらを返したような報道をしたときには、それに迎合していたことだろう。自分が、社会をどう捉え、どのような主義主張を持つのかは、自分自身でコントロールしたいものだと改めて感じた。

さて、我々は、世の中をどう捉え、どのように自分なりの主義主張を持ったら良いのかということについて、少し考えてみたい。因みに、ここでいう主義主張とは、いわゆる、私はネオコンだ、リベラルだ、いやネオリベだという社会的なものから、私はやると決めたらとことんやりきる主義だ、タバコはすわない主義だなど、個人的なものまで、ひっくるめて主義主張としている。要は「私は、こう思う。なぜならば、これが大切だからだ」と自己の考えと理由を表現できるレベルのものを主義主張と呼んでいる。

まず、主義主張を持つことの効用についてだが、2つあると考える。1つ目の効用は、他者とのコミュニケーションの質が高まるという点である。主義主張を持つもの同士の議論を、Win-Winの状態に帰結させることができれば、より良い主義主張に昇華させることができるし、Win-Loseの状態で帰結したとしても、他者との議論の結果、発展的な助言を得られたり、相手からの質問から今まで考えもつかなかった新しい視点を得られたり、あるいは相互理解が強くなったりもする。議論に勝っても負けても、何か得るものがあるということだ。なお、自分なりの主義主張を他者へ押し付けてしまうような人格の持ち主にはこの効用はもたらされないということは付け加えておきたい。そして2つ目の効用は、自己に対する理解を深められるという点である。自分なりの主義主張を持てば、思考や言動に合理性や納得性が生まれる。自己の思考や言動に合理性や納得性が担保されれば、自分を見つめやすくなるということだ。またそれは副次的にではあるが、心の健康を保ちやすくなるということももたらしてくれる。これは、自分の軸がなく、常に周囲に振り回されてしまう人たちが、疲れ果ててしまう様を思い浮かべるとわかり易いのではないか。

ではいったい、主義主張とは、どこから生まれてくるものなのだろうか。それは個々が知覚している社会認識から生まれると考える。極端に狭く偏った目で社会を認識している人からは、カルトに近しい主義主張が生まれ、広く深く社会を認識している人からは、多くの人々を納得させられる主義主張が生まれる(その主義主張が人々を魅了するものであるか否かは別問題だ)。一方、自分の軸が無く周囲に振り回されがちな人たちは、得てして漠然と社会を感じ取っている人にあたる。主義主張は、物事を漠然とではなく、突き詰めて考えることで生まれて、偏りなく広く認識することで、社会性の高いものになっていく。そう考えると、せわしなく動いている世の中をできるだけ広く深く偏りなく、また誤解なく見つめられる術を身につけることが重要だ。

例えば、自分の生活を振り返り、今までやったことのなかった新しい趣味を新しく始めてみたり、地域の人々が集まるコミュニティに足を運んで積極的に会話をしてみたり、あるいは、テーマを持って何冊もの書籍を精読し、自分の言葉でブログに纏めてみたりすることで、物事に対する深い理解と多くの視点を手にすることができるだろう。

また、先に紹介した、「あなたはマスコミを支持しますか?」という調査を思い出してほしい。あの調査は、実はネット上の無料調査サービスだ。会員登録さえすれば、気になっている疑問を設問に落とし込み、実査を開始することができる。分析も非常に簡単だ。こんなにも、定量調査が非常に身近なものとなっている時代になったのだ。世の中を見つめる道具として、使わない手はない。

そして、あらゆる手段を使って、社会への認識を押し広げられたら、今度は、判断力が必要になってくる。集めた情報の中には、見なければ良かったと思うものも入ってくるようになるだろう。しかし、それは現実に存在している事象なのだから、それを受け止め、今、ここでは、何が大切なのか、その優先度を見極められるようにならねばならない。優先度を見極めるためには、正の効果と負の効果の両面を見る癖をつけておくことが良いだろう。この判断力によって、「自分は何が大切だと考えたのか、それはなぜか」ということが明確になり、主義主張が完成するのである。

人は社会性の高い生き物であり、社会は、人と人とのコミュニケーションであふれかえっている。ビジネスの場では、出来るだけ論理的に思考し、合理的に行動しようと努めるだろう。しかし、例えば普段会社で行われている会議などの場では、いつの間にか、感情むき出しで熱くなって激論を交わしていたりもする。自己や他者と対峙する際には、理性的にもなり、時には、感情的にもなってしまう。そういう生き物なのだ。これまで、主義主張を持つことは良いことだという論調で書いてきたつもりだが、それを支えるものとして欠かせないのは、やはり他者へのリスペクトの念だ。それなくしては、社会を建設的な方向に導くのは困難だろう。「俺様主義」は、どうも認めたくないというのが、私の主義らしい。


 

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