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2008.09.24

相次ぐ「食」の不祥事:「社会的失明の時代」に我々はどう生きていくべきか?

 ここ数週間、社会面のトップニュースとして「事故米の食用への違法転用」に関する問題がニュース番組や新聞各紙面で大きく取り上げられている。昨年のミートホープ、白い恋人、赤福、船場吉兆や、今年に入って偽装ウナギの一連の業者、比内鶏、ヒルトン内レストランの牛肉偽装など食品偽装問題が相次いで起こった。今回の事故米事件は食品流通全体に影響する問題として、トレーサビリティの困難さから被害の拡大がどこまで広がっているか、いまだに把握しきれていない状況である。これらニュースとして露見された事件は、食品業界全体としては氷山の一角にすぎないと見られており、今後同様の事例がニュースとして報じられている以上に存在していることが危惧される。

 この一連の食品偽装問題の本質的な原因はどこにあるのか?それは、個々の業者や農水行政の問題だけではなく、よりマクロに見れば、利益追求に偏重する社会の在り方に起因していると思われる。かつては、生産、流通、販売の各業者が各々の役割に応じバランスを保った流通体制を構築していた。しかし、経済のボーダーレス化や企業間の過当競争の激化により企業が淘汰されるようになり、価格引き下げやイノベーション創出が期待される反面、生き残りをかけるために安易に品質を軽視しやすい社会構造になってしまっている。また、食料の原産地や個々の企業・業者の経営状態、広範囲かつ複雑な流通プロセスなどを知り得る機会がほとんどなく商品・サービスを購入するものの、問題が起きた際に何が根本的な要因となって発生したかを探ろうとしない人々の意識も原因として考えられる。

 この問題を扱う際に参考になる話を、法政大学法学部教授の市村弘正氏と杉田敦氏が対話「社会の喪失」の中で、「社会的失明の時代」というテーマで述べている。そこでは、「クロロキン網膜症」に冒された人々の薬害に至る経緯を題材にしている。クロロキンとは抗マラリア剤の一種で、1934年にドイツではじめて合成開発され、1943年にアメリカで独自開発により抗マラリア剤として発売された。日本でも、マラリア以外にも慢性腎炎や関節リウマチなどにも効果があるとされ1955年ごろから発売されるようになった。しかし、実際にはそれらの病気に対する効果はなく、逆に副作用として網膜症が発症し失明する患者が増え、1000人を超える被害へと拡大したことで薬害問題に発展した。この事例から両氏は対話の中で、薬害の責任主体が複数存在していることを述べている。一つは、厚生省(現:厚生労働省)や医者、製薬会社が薬の効用並びに副作用について検証が不十分だったことから薬害が発生するリスクを軽視していたことである。もう一つは一般の人々においても「病気になったら薬で解決できる」という意識があり、それが発展して過剰に薬へ依存する体質に変容してしまった社会的情勢である。薬害の責任は厚生省や医者、製薬会社、さらに失明しなかった多くの人々にもあるというのだ。医者や製薬会社は、薬の販売による利益や十分な検証をしないままの治験の推進を追求したことで患者の存在を忘れていた。かたや当局は、本来薬害問題を取り締まるべき組織だがずさんな対応により被害の拡大を招いた。そして、一般の人々は薬害の被害を受けなかったが、いつでも同じような状況に陥る危険性があることを認識せず状況を傍観したことから、薬害の責任の一部は人々にもあるのではないかと本著では述べている。薬害の責任を負うべき人々は薬害による失明を免れたが、社会全体の中の弱者(本事例の場合、クロロキン網膜症患者)に対する想像力が欠如しており、それを弱者の存在が見えていないことから「社会的失明」と表現している。

 話をもう一度食品偽装問題に戻して上記の理論を当てはめてみたい。まず、食品を偽装した各業者は、不正という罪の重さを軽んじており、不正によって起こり得る被害と影響を測ることもできていない。また、農水省はどのようなルール・仕組みの下にどのような検査・管理を行うことで偽装を防止できるか、ということを予見できていなかった。つまり、各業者や農水省が「社会的失明」の状態にあると言えよう。そして私たち消費者も、食品偽装の被害者でありながら、「利便性」や「低価格」を求め過ぎていたことと、「商品を買わない」「クレームする」「第三者機関に訴える」などの偽装・品質のチェックを怠ってきたがゆえに食品提供者の目が消費者から離れていった結果を生んでしまったことも反省しなければならない。彼らに消費者の存在を忘れさせてしまっている(失明させている)ことに気が付いてない「加害者」としての側面も持っているのである。
では、消費者が自身に加害者の側面があることを認識できているかというと、なかなか自分が加害者であるということに気付かないだろう。なぜなら、問題が起きた際には起こした当事者を非難し加害者扱いする一方で、普段何も起きなければ関心を向けない、つまり問題が孕んでいるであろう事象を肯定しており、加害行為の一端を担っていることに気付かないのである。

 ここ数年の健康ブームから食品に対して品質の高さを求める傾向も出てきており、また薬の副作用に関する情報も一般的に知られるようになった。その結果、栄養価の高い食材やサプリメントを摂取する行動の前提となる「病気を治すことより発症させない心身をつくり、健康を維持する」という「予防医学」の意識も高まってきている。しかし、それらは個々人が問題意識を感じたからではなく、相変わらず食品やサプリメントの提供業者の便益を目的とした利益追求活動から生まれた「作られた意識」ということを多くの人々は認識していないのではないだろうか。それでは、同じような問題が再発することは目に見えている。事実、高栄養食材や高機能サプリメントとして謳って商品を発売していた業者が偽装していた事例もあり、健康被害や金銭的なトラブル等が多発している。それらがなぜ起こったのかということについて相手の企業や組織を追求することは必要だが、常日頃から食の安全を追求する意識が低い(=社会的失明状態である)自分自身にも多分に問題があると言える。

 もちろん、商品やサービスの提供業者は安心・安全な商品・サービスをつくり提供しなければならない。また、企業を監督する関係省庁は、安心・安全が確保できる仕組み作りを追求し続けていく必要があろう。そして、私たち消費者は、自分たちの体内に入る食品について、もっと注意深くなる必要があるのではないだろうか。食品そのものから食を取り扱う業者、業者を取り巻く流通ルート、当局といったステークホルダーの存在にまで目を向けること、つまりそれが社会的失明状態から脱却することにつながるだろう。

 そのために我々個々人がまずすべきことは、自身の行動や考え方についてもう一度問い直すことではないだろうか。例えば、食に関して言えば、まずは自分自身の体のことをよく知ることから始めてみる。加えて、「なぜこの食品を選ぶのか」「この食品は自分にとってどんなメリットがあるか」「この食品がどのような経路をたどって自分の元に辿り着いたのか」といった食品自体のことはもちろん食品の調達、生産、加工、流通、販売の方法についても知っておくことで、自分自身の食生活の質を高めるができるだろう。また、自分の消費行動・生活行動がどんな欲求に基づいたものか、または何に影響されて行動しているか、を理解把握しておくことも必要である。つまり、普段の生活においてなかなか情報として触れにくい部分ではあるが、自身の生活や生命に関係してくる間接的な情報も知り得た上で、それらの情報に対して自分なりに問題意識を持って臨むべきであると私は考える。

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