2022.03.22
平和のためにできること
私の叔父は太平洋戦争 で命を落とした。叔父の父であり私の祖父は、太平洋の航路に詳しかった。戦争が激しくなると、太平洋航路を知る専門家として海軍に協力を強いられ戦略参謀の一員として働かされていたそうだ。祖父は日本海軍の施設から家に帰ると、「この戦争で日本は絶対に勝てない」と祖母にだけは漏らしていたそうだ。米国との貿易業を通じて、米国の軍事力や国力がどれ程のものか、その内実をよく知っていたのである。しかし、戦争の心労からか、終戦前に病に倒れ亡くなった。これは私が小学生の頃、母から聞かされた話だ。叔父にも祖父にも、「生きていてくれたら会えたのに」と、子供心にも悲しい気持ちにさせられたことを思い出す。「戦争は人の心を悲しくするもの」と憶えさせられた。
1970年に上映され、世界的なヒット作となったイタリア映画「ひまわり」が、日本各地で再上映の輪が広がっているそうだ。同作品は、戦争によって引き裂かれた夫婦の悲愛の物語である。描かれた時代、ソビエト連邦は社会主義国家であり、イタリアとは全くの別世界として映し出されている。ひまわり畑のシーンで語られる話、イタリア軍が戦ったウクライナの街で夫の消息を聞き歩くソフィアローレン。幾つものシーンが戦争の生み出す悲しさの描写として心に刺さる。映画の再上映のきっかけは、ロシアのウクライナへの侵略にある。夫を探すソフィアローレンが旧ソビエト連邦のウクライナの街を訪れたことだ。当時のソビエト連邦の社会は、決して幸せそうには映し出されていはいない。
今、世界中の人々が現代の侵略戦争に対する怒りと不安を覚えている。
日本のような海洋国家と違い、大陸国家の戦争は、二国間の戦いでは収まらない。避難する人々は隣国へと助けを求め、隣国の人々は温かい気持ちで難民を受け入れている。それを見ていると自分も何かできることはないかと、いつもとは違う意味で検索作業に力がこもった。注目したのはウクライナの南西部の国境に位置するモルドバだ。国土は狭く、経済力も決して豊かではない同国はウクライナ危機に備え、早々に1万人の難民を受け入れる準備をしていた。そして、先週3月17日のG7会議で、モルドバを支援する事が決定され、G7以外の関係国や国際機関も参加するとの報道を目にした。私自身もモルドバへの寄付を行おうと考えていたので、G7の決定に共感を覚えた。
マザーテレサは、反戦活動への賛同を求められた際、それを断った。 彼女は平和活動には賛同するが、反戦活動には賛同しない。何故か?戦争に反対すればするほど、戦争は激化し長期化する、すなはち「抗うことは蔓延る」というモノゴトの本質を知っているからである。現在、世界中の国々がロシアに対して軍事面での支援や経済的制裁を課して抗っている。これでは、ロシアも引き下がらず、むしろ攻撃は激化する方向に進むだろう。事実この三週間以上、市街地の破壊が進んでいる。反戦的なアプローチでは解決の糸口が掴みにくい。とはいえ、平和的アプローチにどう切り替えて行けばいいのかを考えるが、その転換点が見えない。
ロシアのウクライナ侵略戦争に終わりが来るとしたら何がそのきっかけとなるのか?
ロシアの国家体制が内部から崩れるか、世界の国々が超長期戦に耐えられるよう、ウクライナを支え続けるか、あるいは各国のトップ全員がテーブルを囲み、世界平和を問い直し、全く新しい平和の概念を再構築し、世界に示すことなのかもしれない。世界各国が未来の世界平和の姿を議論すれば、必ず共通の価値観を見出せるはずだ。
「人を殺してはならない」は、どこの国でも、どの宗教でも教えている普遍的価値観だ。しかし、そうならないのは「人」が「仲間」に代わり、「仲間を殺してはならない」という論理に摺り変わっているためだ。 ロシアはウクライナを仲間と見做したり、非仲間化したりと矛盾だらけである。 この点からも平和の実現は簡単なことではないということがうかがえる。
しかし、1つだけ言える事はウクライナの難民を助ける隣国モルドバ の行動は、「仲間」ではなく「人」を大切にし、互いの存在価値を認め合う事の大切さを知っているが故の行動だ。ここにこそ、平和の精神が息づいている。ロシアの人々も本来は同じ思いをもっているはずだ。平和の糸口は、国境を越えても人を大切にし、助け合おうとする行動にある。私たち日本には海を隔てた遠い国の出来事であるが、隣国を支援する事で、隣国とウクライナの「人」を大切にすることができる。
戦争は人々に恐ろしいほどの絶望と悲しみを生み出す。ウクライナに平和な日が一日も早く訪れるよう、ウクライナの隣国モルドバ、ポーランドを支援することで、ウクライナの人々の平和の道につながると信じたい。一日も早く、ウクライナの子供たちの笑顔を見られる日が来ることを祈ってやまない。
Wish for peace