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2020.11.27

葛飾北斎からのメッセージ

今から1200年前、疫病が蔓延した。その当時、関東を巡錫していた弘法大師空海は、この病の平癒を祈願し、ある枯れ井戸に向かって護摩祈祷を始めた。すると21日後に清らかな水が湧きだし疫病はたちどころに平癒したという。この縁起が伝えられる寺院、真言宗豊山派五智山遍照院総持寺、通称「西新井大師」である。現在でも空海が祈祷を行った井戸を見る事ができ、井戸が西側にあったことから西新井と名付けられたとも。

空海の逸話から凡そ1,000年後の江戸末期頃、当時の祈祷の様子を肉筆で描いた絵師が現れた。葛飾北斎である。それから更に300年以上経過した現在、北斎は世界的に認められる絵師となった。

米国LIFE誌‘’THE LIFE MILLENIUM’‘ THE 100 MOST INPORTANT EVENTS &

 PEOPLE OF THE BEST 1,000 YEARS(LIFE編集者が選んだ、この1,000年で最も重要な人物トップ100ランキング)において、唯一日本人として北斎がランクインしたことがその証と言っていい。

 

さて、晩年の北斎は肉筆画に力を注いでいた。それが江戸末期頃で、なんと80歳からの約10年である。北斎最後の10年に描いた肉筆画は特に秀逸であったと言われており、その傑作の1つとして挙げられる作品が「弘法大師修法図」(1844年~1847年 葛飾北斎作)である。遥か1,000年前の出来事として言い伝えられてきた空海の護摩祈祷の様子を想像した北斎の描写には驚かされるものがある。スケールも大きく縦1m50㎝、横2m40㎝もある。これは天井の高い寺院の高い場所に納める事を想定して描かれたことがわかる。

さて、描写の構図だが、背景は漆黒の闇、左にいる巨大な赤鬼は金棒と縄を携え、異様に大きな眼、そして鋭い牙をむき出しにした口を大きく開き、今にも喰ってかかろうとする姿は猛々しさに溢れている。下から見あげれば、画の中から飛び出してきそうにも見えるのではないか。右側には赤鬼と向かい合う一匹の犬。無数の茸が宿る古木に巻き付き赤鬼に唸り声を上げているかのうように映るその姿は、疫病に苦しむ人を古木にたとえ、人々を守る姿を現しているようにも見える。更に、その間にあって弘法大師空海が経典を手に一心に祈りを捧げる姿がある。北斎が肉筆でこの作品に挑んだのは何故か?非常に興味心をそそられる。

ある考察では、当時の江戸で疱瘡が流行していたとも言われており、疱瘡絵(疱瘡(天然痘)を罹患した病人の部屋に貼ったりする用途として作成された浮世絵で、赤色で描かれることが多かった)として描かれたとの説がある。そうであれば、描いた赤鬼の姿や描く動機にも納得がいく。

Photo


 

(葛飾北斎作「弘法大師修法図」西新井大師蔵)

私たちが良く知る北斎の作品の殆どは版画である。従って、何枚も刷ることが可能だ。一方、肉筆画は1点ものである。当時の浮世絵の版画製作は、版元、 絵師、彫師、摺師に行程分担され、版元の役割は、現代で言えば映画や番組のプロデューサーのような立場。当時の版元の力を示すかのように、浮世絵には絵師の落款だけではなく、版元印が刷られている。歌川広重の「東海道五十三次・有田屋版」の版元は有田屋清右衛門。東洲斎写楽の役者絵を世に出したのは「蔦屋重三郎」(蔦屋書店はこの版元の名に肖ったともいわれているらしい)も浮世絵愛好家の間ではよく知られている。つまり、版元の力が浮世絵の傑作の有無を決めていたため、力のある版元に認められようと、版元の意向に沿った絵を描くことが絵師の仕事となっていた。従って、絵師が自分の描きたいテーマを自由に描くには肉筆画しかなかった。北斎最後の10年、版元の意向を気にすることなく肉筆画に魂を注いで描いた10年であったなら、幸せな時間であったに違いない。1,000年前の弘法大師空海の祈りの姿を想像し、見えない赤鬼を創造する時間は北斎にとっては、この上なくエキサイティングな時間であったことだろう。当時80歳を越えた年齢は超長寿である。そんな北斎翁が自らの技量と創造力を嬉々として筆に込める姿を周囲の目にはどのように映ったのだろう。

北斎は亡くなる少し前にこんなことを言ったそうだ。「天よ、あと10年命を与えよ、それがだめならせめて5年、そうすれば真の絵師となれるのに」。彼が目指した真の絵師とは、どのような絵師だったのか。自らの世界観を表現する喜びの中で何を掴みかけていたのかは知る由もない。せめてあと5年命を与えてあげたかった。

北斎の晩年は、肉筆画を通じて真の絵師とは何か?を追い求めた時間であったと言っていい。これこそが北斎の生き様そのであったと考える。

翻って、このコロナ禍にあって、自分自身の生き様を問いなおす絶好の機会だと感じている。

人間は傲慢な生き物である。自分自身に対してもそう思う事が度々ある。現代を生きる私たちは、時間は無限のような感覚の中で生きてはいないだろうか。全ての人の命の時間は限られているのだが。もし、北斎がここに現れたらどのようなメッセージを伝えるだろう?「限られた時間の中で自分は何を成し遂げたいか?今この場で答えが無くてもよい。しかし、それを見つけようとする営みは続けなければならない」と想像してみた。即ち、北斎最後の10年の生き様から受けたメッセージである。

「弘法大師修法図」は今でも年1回、毎年10月の第一土曜日に「北斎会」として開催され、西新井大師で鑑賞することができる。奇しくも疫病が蔓延する現代、湧き出た井戸水をワクチンに例えれば、世界中の人々の祈りが通じる日も近いと思いたい。来年は「弘法大師修法図」=「北斎最後の10年の生き様」を観に訪れ、自分の生き様は大丈夫かと問い直す機会とししていきたい。

そういえば、「弘法大師修法図」には古井戸が描かれていない。その謎解きも訪れる楽しみの1つにできそうだ。

 

時太郎

参考:西新井大師北斎会:https://www.nishiaraidaishi.or.jp/event/yearly.html#oct01

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