2020.03.30
自発性・有能感・関係性の醸成による目標達成
我々は湧き出る願望や欲求を実現するために目標を立て行動を起こすが、このプロセスは終わりを見せない。それには大きく二つの理由がある。一つ目は目標達成が難しいからだ。目標は現状と理想のギャップを埋めるために立てられる。つまり、目標の達成プロセスでは行動の変革が求められる。しかし一度染みついた行動を変えるのは容易な事ではなく、なかなか目標が達成できない。我々はその目標を追い続けるか、別の目標を掲げることで新たなスタートを切る。二つ目は人々の願望や欲求は無くならないからだ。我々は目標が達成されるとより高い目標を新たに掲げその達成を目指す。
目標達成のプロセスは、まるで到達することのない漸近線へ向かう曲線に似ている。我々はこの終わりのない目標達成プロセスを理解しながらも、目標の達成有無によって自己肯定感を高めたり自己嫌悪に陥ったりする。その姿は滑稽にも思えるが、それが人間の宿命なのだろう。結局のところ、目標が達成されようがされまいが目標達成プロセスは終わらないのである。そうであるならばより多くの目標を達成して願望や欲求を実現したいと思うのが人の性だ。では目標達成には何が必要なのか。私が間近で体感した目標達成のプロセスからヒントを得ようと思う。
目標を達成するには行動を変えなければならないが、行動を変えるには内発的動機づけの醸成が重要な要因となる。なぜなら行動を変えるには新たなマインドセットが必要だからだ。行動を変える過程では心理的痛みが伴うため、心の内側から湧き出る意欲や関心が無ければその痛みは克服できず、継続的な努力は見込めない。内発的動機づけを醸成する方法として、アメリカの心理学者であるエドワード・デシとリチャード・ライアンにより提唱された自己決定理論が参考になる。自己決定理論の核心は、人には生存のための生理的欲求の他に自律性・有能感・関係性を実感する心理的必要性があるという前提がある。この三要素は単なる欲求以上のものであり、自分自身が成長し,満足のいく自分らしい幸福な生き方をするために必要不可欠な要素である。三要素のいずれかが損なわれると、心身の不調や生活の満足や幸福の低下が生じ、逆に三要素が満たされれば満足のいく充実した人生が送れるとされる。
つまり、自律性・有能感・関係性の充足が内発的動機づけを醸成し行動の変革をもたらし、目標の達成に寄与すると言えるのではないか。では、目標達成プロセスにおける自律性・有能感・関係性とは何か。以下のように解釈してみた。
- 自律性・・・自ら立てた規範をもとに行動をすることであり、規範とはなぜそれを目標とするのか、どこへ向かっているのか、何をすべきなのかを明らかにする、ブレない判断や行動につながる自らの価値観及び信念の事である。
- 有能感・・・やり遂げる能力があると自らの価値を認める自尊心のことであり、自らの考えによる活動から得られた達成感は有能感を高め新たなチャレンジへと導く原動力となる。
- 関係性・・・他の人と精神的につながっているという感覚のことであり、他者と繋がっていたい、良い関係を築きたい、貢献したいという周囲に対する欲求の事である。
これらの三要素が本当に目標達成に寄与するのか思考を巡らすと、プライベートにて仲間と実施した自己変革プロジェクト(減量または増量によって理想の体型を手に入れるための活動)が脳裏に浮かんだ。自己変革プロジェクトでは以下3点を重要要因とした。
1.「目標の達成によって実現したいことが明確に描けていること」
2.「やり遂げるための計画が明確に描けていること」
3.「実現へ向けた活動を繰り返し行えていること」
上記3点はこれまでの経験から独自に導き出した要因であるが、プロジェクト成功のエッセンスを抽出してみると、どうも自律性・有能感・関係性を満たしていた事が関係しているように思える。これらの三要素を意識してプロジェクトを設計した訳ではないが、3つの要因が三要素を充実して内発的動機づけを醸成し、参加者の行動を変え、目標達成を導いたという構図がありそうなのだ。以下ではA氏の成功事例を交えてその根拠を紹介する。
1.「目標の達成によって実現したいことが明確に描けていること」
目標を達成することで何を成し遂げたいのかという志が無ければ人は変われないと考えていた私は、A氏との目標設定段階で志の具体化について多くの時間を割いた。なぜならA氏は過去の適正体重を基準にした「3カ月で体重-16kg」を目標としたのだが、何を実現したいのかは明確ではなかったからだ。そこで私は「その目標を達成して得られる未来は現在の自分を変えてまでも獲得したい姿なのか」という問いをA氏に投げかけ、A氏はそれ受けて変革した未来の自分を想像し志を言語化した。
このプロセスはA氏の自律性を高めていたと言えそうだ。過去の適正体重によって導かれた目標の値は過去の事実として目指す指標にはなるが、それだけでは適正体重を手に入れるための目的が明確ではない。ブレない判断や行動につながる自らの価値観や信念は醸成されておらず、自律性が満たされていない状況と言えるだろう。それに対して私の質問を受けたA氏はその核心に迫り、信念を固めた。A氏はその後の計画策定段階でより意欲的な姿勢は示していた事から、自律性が満たされていたと考えられる。
2.「やり遂げるための計画が明確に描けていること」
目標を達成する際には計画通りに行かないことも考慮して計画する必要がある。なぜなら高いモチベーションを保つのは難しく、そもそもの人の意思は有限なものだからだ。疲れている時や落ち込んでいる時、仕事が長引いたときなどをも想定した計画が練られていることが、真にやり遂げるための計画と言えるだろうと私は考えていた。そんな中、志の具現化で自律性を高めたA氏が最初に立てた日々の計画は「毎日ランニングする」というものであった。私はA氏の高揚感を阻害したくはなかったがこれに反対した。というのも、これまで全く運動していなかった人が毎日ランニングを継続できるとは考えにくく、また想定外の出来事が発生する事が想定される中「毎日」の計画は実施できなかった際の自己効力感低下に繋がると考えたためだ。A氏は私の意見を聞き入れ、本当にすべきこと、できそうなことを洗い出し日々の摂取カロリーの制限に辿り着いた。そして1日の上限摂取カロリーを設定し、それに伴い目標を「3カ月で体重-6kg」へと変更した。当初の目標を下げることにはなったが、活動が軌道に乗った際に目標を上方修正することで合意した。
活動を始めると、食事面で問題の多かったA氏にとってカロリー制限は非常に効果的ですぐに結果に表れたのだが、この経験はやればできるというA氏の有能感に繋がったと言えそうだ。実際にA氏は総カロリー以外の栄養面に興味を持ち、ケトジェニックダイエットという十分な量のタンパク質と大量の脂肪を摂取し、炭水化物を可能な限り避ける食事療法を取り入れた。A氏は自身にやり遂げる能力があると自尊心を高め、新たなチャレンジへと臨んだのだ。このケトジェニックダイエットで軌道に乗ったA氏が目標を上方修正しわずか2カ月で10kgの減量に成功したのは、有能感を得ながら計画を進められたからと考えられる。
3.「実現へ向けた活動を繰り返し行えていること」
元プロ野球選手のイチローさんがメジャーリーグ年間安打記録を破った際に発した『小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。』という言葉を耳にしたことはないだろうか。大偉業を成し遂げたイチローさんのこの言葉は実現へ向けた活動を繰り返し行うことの大切さ教えてくれる。しかし先ほども触れたが、行動を変えるには心理的痛みを伴う。これまでの生活習慣に新たな行動を取り入れることは容易ではないため、やり遂げるための計画を明確に立てるだけでは不十分だ。そこで私はプロジェクトメンバーを2つのチームに分け、LINEグループにて各々が1週間の計画を共有し、実施後にはそれを報告し、お互いに賞賛し合う仕組みを設けた。周囲との繋がりを持つことで喜びを分かち合い、辛いときは助け合うことで継続性を高めるためだ。
実際のところこの仕組みがA氏の継続性にどれほど貢献したかは定かではないが、影響は与えていたはずだ。マクロ栄養素に詳しいメンバーの情報発信がケトジェニックダイエットへの興味に繋がり、メンバーと共にトレーニングジムへ通った経験が自主的な継続的トレーニング実施に結びついていたと考えているからだ。月に1度私と同じタイミングで体内組成を測定したりもした。これらのプロセスは、A氏が他の人と精神的につながっているという感覚を実感するきっかけになっていたと考えられる。
以上がA氏の成功事例となるが、3つの要因が三要素を充実して内発的動機づけを醸成し、行動を変え、目標達成を導いたという構図は確認できただろうか。A氏がもたらした成果は著しくその努力には誠に感服であるが、その裏には自発性・有能感・関係性を満たす仕組みが寄与していたと言えそうだ。A氏の成功は一例ではあり、自己変革プロジェクトの参加メンバー全員が成功したわけではないので、私が掲げた3つの要因が必ずしも重要ではないのかもしれない。A氏にとって重要な要因になったことに変わりはないが、目標達成においてより重要なことは自発性・有能感・関係性の三要素を満たす事であり、それらの醸成を個々人にあった方法で設計することなのかもしれない。
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