2018.09.05
M&Aの行方 ~ボルボの奇跡を演出した吉利汽車のマジック~
北欧の自動車メーカー、ボルボの業績が絶好調です。ボルボは、1924年に発足した中堅自動車メーカーで、北欧クルマ作りで個性を放ち、世界中で親しまれているグローバルブランドです。これまでに幾多の経営危機に見舞われ、大手の自動車メーカーの戦略の狭間で翻弄されてきましたが、2010年の中国企業の買収を受け入れたことを契機に業績が回復し、2017年にはついに最高利益を記録しました。世界的な自動車販売競争の中で、ボルボが奇跡的に復活できた背景には何があったのでしょうか。
ボルボは、サーブ社とともに、北欧スウェーデンを発祥とする自動車メーカーで、両者とも独自の雰囲気を纏った自動車をつくる企業として、市場に認知されていました(サーブは経営破綻の後に消滅)。メジャーと言われる世界規模の自動車メーカーではありませんが、年間数十万台を販売するユニークなメーカーでした。
1926年に自動車メーカーのボルボが誕生し、ボルボブランドの乗用車製造が開始されました。ボルボの理念は、「ボルボ設計の基本は常に安全でなければならない」というもので、安全装備の開発、事故調査の実施と設計へのフィードバックを行うこととしていますが、走行中に「ヘラジカ」と衝突しても安全であること、という北欧特有の基準を実現する開発プロセスによってもたらされるものだともいわれています。各種安全装備に関して特許公開を行い、自動車の安全性に貢献していることは有名です。
そのような独自性を有するボルボであっても、自動車業界で生き残り続けるのは一筋縄ではいきませんでした。
この言葉に触発されたわけではないでしょうが、同年代には世界規模での自動車メーカーの再編機運が高まり、大規模メーカーが続々と小規模メーカーを傘下におさめるM&Aが進められました。日本のスバルの半分の規模しかなく経営危機に見舞われていたボルボは、時代の流れには逆らえず1999年に米フォードの傘下に入りました。しかし、フォードの資本や技術、販売ノウハウなどを活用できる環境を与えられたにもかかわらず、ボルボの業績は好転することはなく、リリースされるクルマも魅力に乏しく、徐々に人気と固定客を失っていきました。
そして2008年にリーマンショックが襲い、世界的な規模で自動車販売が落ち込みはじめると、世界一だったGMは経営破綻しました。フォードの業績も急速に悪化し、不採算ブランドの整理が必要になりました。フォードは、深刻な経営難に直面していたボルボの救済先として、スウェーデン政府に支援を求めましたが、同政府はこれを一蹴しました。買収先が見つからなければブランドの存続も危うい事態でしたが、最終的には中国の浙江吉利控股集団(ジーリー・ホールディング)手を上げ、2010年に買収されました。北欧の名門自動車ブランドが、技術力が無くパクリ天国と揶揄される中国の新興自動車メーカーに買収されたことで、名門ブランドもこれで終わり、チャイナクオリティのクルマ製造会社に成り下がるという落胆の声が多かったといいます。
しかし、吉利汽車による買収から7年たった現在、ボルボは見事に蘇り、空前の業績をたたき出すまでに回復しました。ボルボの作るクルマは、質実剛健のドイツメーカーが追随するほどのコンセプト、技術力、商品的な魅力に溢れ、輸入車としては初の「日本カーオブザイヤー」を受賞するまでの存在になりました。生産が注文においつかず、車種によっては半年以上のバックオーダーを抱えている状態です。M&Aの事例としては、異例の成功を実現しているわけですが、この成功はどこからきているのでしょうか。
M&A後のボルボ大躍進の要因は2点に集約されます。一つ目は、買収後に吉利汽車の販売網を通してボルボ車を販売することで、一定の販売台数を見込めたことです。ボルボ車は中国国内でも高いブランドイメージがあり、吉利汽車ではそれを活用することが成功の近道だと考えたのでしょう。これはある意味当たり前の戦略です。
そしてもう一つの最大の要因は吉利汽車の経営スタンスにあります。吉利汽車は、買収後のボルボに多額の開発資金を提供しましたが、その資金の使い方や自動車開発内容には一切の口を出さなかったことです。ボルボのクルマはフォード傘下時代に魅力を失っていたため、再浮上するためには魅力的なクルマを開発するしかありませんが、投資した資金によって開発された新型車が市場に投入されるのは、すくなくとも数年先になります。吉利汽車は、ボルボの買収に必要な18億ドルとその後の莫大な開発資金を確保するために、自己調達の資金だけでは足りず中国開発銀行からの融資も仰いでいますが、この投資から回収が始まるまでのタイムラグに絶えるだけの心臓に毛が生えた経営姿勢には感服せざるを得ません。
M&A後は、早期の投資回収など、資本効率の追求が求められるため、統合後のシナジー効果の創出という名目で、自動車の場合であれば、設計や部品の共有、基本となる車台やエンジンの共同利用が行われることが一般的です。現にフォード傘下時代には、複数ブランドでのプラットフォームの共通化が行われ、当時傘下だったマツダやボルボが同じ車台を使い、上物のボディデザインを変えて新車としてリリースするような、いわゆる効率的物作りを行い、一台あたりの平均コストを下げるという手法が行われてきました。
しかし、吉利汽車はそれを一切行いませんでした。驚くべきことにボルボは買収された後に新型エンジンと新しい車台(プラットフォーム)の新規開発を行っています。これは現代の効率的な自動車生産とは逆行しますが、中国メーカー由来のエンジンや車台の使用をボルボに押しつけないことが、独立した技術力をアピールできる効果的な手法だと考えたのかもしれません。
このことで、フォード傘下で好きなことができずに悶々としていた技術者が発憤したという側面もあるでしょうが、自動車開発の様式が大きく代わり、コンピュータシミュレーションの発達と部品メーカーの技術力の向上も見逃せません(ボルボは日本のデンソーと組んで、先進技術の共同開発を行っている)。
ボルボは豊富な資金を背景に闇雲に開発の幅を拡げるのではなく、プラットフォームを一つに集約して、セダン、ステーションワゴン、SUVを作り分けること、エンジンは2000CCだけに特化することとしました。そして自社のアイデンティティである安全装備はこれまで以上に徹底的に磨き上げることとし、それらに資金を集中させることにしました。この結果が数年後に先進装備満載で、他社以上の性能を実現したボルボの基幹車種であるV40、V70、完全な新型車XC60の大ヒットにつながり、ボルボの業績は一気に回復しました。元々インテリアデザインと安全性に強いというブランドイメージがあったので、あとは魅力的な新型車がでてくれば業績の回復は当然のことと言っていいでしょう。
金だけ与えて一切口を出さない。これはボルボの技術力へのリスペクトが背景にあり、ボルボなら必ず復活できるという強い自信(というより確信)に裏打ちされたものです。そして何より心臓に毛が生えた図太い精神力が必要です。大きな成功事例を聞くことがない日本の大企業によるM&Aですが、それはがあるからなのかもしれません。サラリーマン経営者は、短ければ数年、長くても10年前後で経営から退くことになります。この短期間の中でやれることは限られており、自分の任期を何事もなく全うすればいいというマインドが醸成されやすい仕組みで、これでは骨太の経営者は育たないでしょう。何より自分自身に及ぶリスクをとってまで自社を成長させようとは思わないでしょう。日本企業が見放したシャープや三洋電機(家電部門)が、新興好業績企業の力ですぐにV字回復しているのを見ると、ますますそのように思いたくなります。
ちなみにフォードがボルボを買収したときの買収額は64億ドル、吉利汽車への売却額は18億ドルで、フォードは企業価値を3割以下まで毀損させてしまいました。今、吉利汽車がボルボを売却しようとしたら、100億ドル以上の値が付くでしょう。売約する気など全くないと思いますが。
マンデー