2015.05.27
大阪市は民意を問うことができたのか?
5月17日、全国が注目する『大阪都構想』の住民投票は、賛成69万4844票/反対70万5585票という僅差で、反対多数により否決となった。
民意とは、自治の主体である住民の暮らしに対する意思(在りたい姿)であり、政策や行政の前提となるニーズとも言える。住民投票という個の判断の集合によって、大阪市は民意の本質を理解し、最大限に政策・行政へ活かすことができているのか。関心を持って『大阪都構想』の一連の報道をみて、強い問題意識を抱いた。それはつまり、都構想の意思決定プロセスにおける以下3点の問題である。
【着目した3つの問題】
【問題①:住民に政策の最終意思決定を委任することが、民意の反映なのか。】
【問題②:住民に問うべきは、住民の意思ではなく、政策の是非でよいのか。】
【問題③:意思決定以外のプロセスにおいて民意は不要か。】
今回の都構想における住民投票では、「反対可決」という4文字に最重要視すべき民意が集約されてしまった。そして、それが民主主義における民意だと疑わないことが自治における最大の問題ではないか。投票という形で住民に問えば良しとする、形式的/事務的で顧客(住民)に目を向けない姿は、正に官僚的である。
地方自治体の現状に目を向けると、全国47都道府県のうち40道府県の人口が減少(※4)しており、東京一極集中の構図が顕著だ。加えて、少子化・高齢化が急速に進展し、社会保障費は増大、財政逼迫は多くの自治体に共通する深刻な問題となっている。そして、大阪市をはじめとする多くの自治体が、差し迫った状況の中で、構造的な改革を求められている。その様な状況だからこそ、如何にして常々、本質的で網羅的な民意を吸い上げ、「事業の定義、目標の設定、活動の優先順位、成果の尺度、成果の評価、活動の廃棄」という7つの規律に反映するかが、自治体に問われている。民意に立ち返り、住民と共に現在と将来にわたる明るく幸せな暮らしを創造していきたい。
<出典> トンコツ
しかし、この結果をもって大阪市民の民意を反映できたと言ってよいのだろうか。また、大阪市は、この住民投票を通じて民意を把握し、今後に活かすことができる状態なのだろうか。大阪市の将来を見据えた場合、『大阪都構想』廃案という結果以上に、その意思決定プロセスに潜む問題にこそ、目を向ける必要があるのではないか。
問題①:住民に政策の最終意思決定を委任することが、民意の反映なのか。
問題②:住民に問うべきは、住民の意思ではなく、政策の是非でよいのか。
問題③:意思決定以外のプロセスにおいて民意は不要か。
行動経済学において、人間は外界の刺激を受けたとき、その絶対値をみて効用を最大化するのではなく、初期値からプラスかマイナスかに反応すること(プロスペクト理論)や、人間はこの基準点となる現状を維持するバイアスをもち、プラスの利益よりもマイナスの損失に強く反応すること(現状維持バイアス)が科学的に証明されている。更に、不確実な未来に対処する時に、その傾向は特に顕著となる。
問題は、得られる利益以上に、初期コストなどの損失に反応するため、住民投票の結果は反対票に傾きやすいにも関わらず、その結果を、住民の総意としてしまっていることだ。「改革内容の是非」といった不確実な未来への意思決定に住民投票は向いていないと言える。
なお、今回の住民投票では、特に高齢者・低所得者において、現状維持の傾向が顕著(※1)であった。国内における60歳以上の人口比率は46%を超えており(※2:2013年時点)、年収300万以下の構成比率は41%を上回る(※3:2011年時点)。もし、高齢者と低所得者のセグメントにおいて、現状維持バイアスがかかり易いということであれば、意思決定に大きな影響を与えるセグメントが非合理な判断をしかねないということである。他の自治体においても、改革の是非を正面から問うべきではないのかもしれない。そして、住民に問うべき論点は何であって、何ではないかを、しっかりと検討する必要がある。
『大阪都構想』の住民投票では、大阪市を分割して特別区にしたければ賛成、それ以外であれば反対、ということが問われた。しかし、市民にとって極めて判断の難しい投票だったと推察している。なぜなら、実質的には『大阪都構想』の制度・システムの評価を行い、そのメリット・デメリットを自ら再解釈した上で、意思決定する必要があり、更に推進派と反対派の評価は、全てが真っ向から異なるものであったからだ。専門家が真っ向から対立する政策・システムの最終的な評価、意思決定を住民に委ねるなど、論外ではないか。何を以て最適な判断が下されるとしているというのか。
意思決定には必ずトレードオフの構造が伴う。なぜなら、メリットのみ、デメリットのみの場合は、判断する迄もないからだ。例えば、「直近の利益最大化と将来の利益最大化」「経済合理性と安全性」などがトレードオフである。
改めて、民意を問うとは、政策内容の是非を問うことなのだろうか。今回の住民投票において問うべきは、政策内容や方法論の是非ではない。改革の必要性を合意形成した上で、住民が自らの意思を以て、容易に判断できるトレードオフの選択肢を示す必要があった。都構想においては例えば、凋落し続ける大阪経済圏において、大阪市の税金を、「地域経済の回復と将来的な財政健全化に向けた府全体の改革資金とするか、地域経済の縮小を受け入れて市内限定の財源とするか」という選択肢を明確化すべきだった。しかし、市議会や各政党は、建設的な議論を行うことができず、改革案は賛成か反対かという短絡的な主張に走ってしまった。その点、議員の能力水準や人材不足も問題なのかもしれない。
なぜ、『大阪都構想』は、意思決定や施策実行の各プロセスにおいて、一か八かの一発勝負である必要があったのか。不確実な未来に対して、モニタリングの設計も施策オプションもなく、画一的な施策を推し進めることは非合理的である。
例えば、「1年のトライアル期間中に、一定金額の経済効果が創出できなければ大阪市を復活させる」といった撤退の条件を決め、テストランから着手することや、「半期毎の行政サービス満足度調査を実施し、目標達成まで改善を繰り返す」といったPDCAサイクルを徹底するための監視・モニタリングの設計を示すといった、提案・投票・実行のアプローチを変えることで、政策の合目的性を高めるができ、住民の納得性も増したのではないか。改革に迫られているのであれば、なおさら建設的に各プロセスを組み立てる必要があったのではないだろうか。
経営の父と称されるPeter F. Druckerは、著書『マネジメント』の中で、「あらゆる公的機関が、六つの規律を自らに課す必要がある。事業の定義、目標の設定、活動の優先順位、成果の尺度、成果の評価、活動の廃棄である」と述べている。当然、『大阪都構想』においても六つの規律を、民意に基づいて設計しなければならなかった。その点、今回の住民投票において、どこまで本質的な民意を理解し、政策に反映する取組みが為されたかは懐疑的である。
また、偉大な企業の衰退に関する克明な調査・分析による真実をまとめた『ビジョナリーカンパニー3 衰退の五段階』には、『企業の急激な衰退が誰の目にもあきらかになる。このとき決定的な問題は、指導者がどう対応するかである。一発逆転狙いの救済策にすがろうとするのか、それとも当初に偉大さをもたらしてきた規律に戻ろうとするのか。一発逆転策にすがろうとするのであれば、(衰退の五段階における)第四段階に達しているのである。一発逆転をもたらす「救世主」だとされるのは、通常、ビジョンを掲げるカリスマ的な指導者、大胆だが実績のない戦略、抜本的な変革、劇的な企業文化の革命、大ヒット狙いの新製品、「ゲームを変える」買収など、さまざまな特効薬である。劇的な行動をとったとき、当初は業績がよくなったようにみえるかもしれないが、長続きしない。』とある。大阪市は、凋落の一途をたどる状況下において、強力なカリスマリーダーに頼り、一発逆転狙いの救済策にすがっていたとは言えないだろうか。
『大阪都構想』から学習すべきは、約7年という時間をかけて一か八かを問うた結果、「何もしない」という結論に至った政策と、意思決定プロセスは、極めて非建設的で非合理であり、その提案・投票・実行のプロセスをゼロから再構築する必要があるということではなかろうか。一発逆転を狙い、白紙に戻ってしまっては元も子もない。
※1:読売調査(年代+性別ごとの賛成割合)
※2:国税庁『民間給与実態統計調査』
※3:総務省統計局『家計調査』
※4:総務省統計局『平成27年4月17日 人口推計』