2011.05.15
どんな矛も通さない頑強な盾がもたらしたもの ~防災の本質とは~
東日本大震災から早くも2カ月が経ちました。大きな地震をきっかけとしてこれだけ多くの死者行方不明者を出したメカニズムは、地震そのものよりも、その後の津波によって引き起こされたものです。ある報道機関の調査によると、地震そのもので倒壊した家屋はほとんど見当たらず、地震だけであれば死者は多くても50人くらいだったのではないかということでした。原発も地震発生後すぐに緊急停止してスタンバイ状態になり、皮肉にも地震そのものに対する対策は万全だったと言えるのです。ただ、その後の津波で冷却用の電源がすべて流されてしまったことで、現在もなお収束の目処がたたないような事故にまで発展してしまいました。
地震国家日本の建築基準は世界一と言っていいほどに厳しく、震度7以上を想定した耐震構造と、火災による延焼を防ぐ意味で隣の家屋との適正な距離をおかなければ建築許可が下りません。さらに地震による二次災害の典型である火災に対しても、阪神淡路大震災の教訓が施されたガスメーター、電力の復旧方式(復旧した電力によって火災が発生しないよう)も含めて、極めて火災が発生しにくい仕組みが、個人レベルでは準備されていることになります。
では今回の被害の根源である津波に対してはどのような対策を行っていたのでしょうか。元来宮城から岩手は太平洋岸で地震による津波が発生しやすい地域である上、リアス式海岸と呼ばれる津波が湾の深部に行けばいくほど波が高くなる構造になっており、これまでに何度も大津波に襲われ多くの命が失われました。そのため、この地域は他の地域よりも高く頑強な津波対策の防波堤が築かれており、中にはギネスに登録されるほどの巨大なものが築かれていた地域もあります。
もちろん福島第一原発にも、施設が立地している高さを考慮し、想定できる津波の大きさから割り出して安全だと考えられる7メートルの高さの防波堤を築くことによって原子炉建屋を守るようになっていました。
しかし今回発生した津波は、多くの関係者が「想定外」という口にしたとおり、想定以上の規模と高さで押し寄せました。もちろん想定そのものが甘かった防波堤も多いのでしょうが、万全の備えをしていても想定以上の自然災害に対してはどんなに強固な防波堤でも防げなかったという事実が残りました。
つまり、個人が行った地震そのものや火災などへの対策の多くは機能しましたが、自治体に任せなければならない津波などの大型の防御施設による対策が、想定外の規模の津波によって機能しなかったことが被害を大きくした原因のひとつと考えられます。
今後復旧が進むなかで、今回の津波を教訓に新しく津波対策に関するガイドラインが示され、頑強な防波堤が建設されていくことでしょう。今回の津波が想定外だとすると、それらを踏まえた防波堤とはどれだけの規模になるのでしょうか?
どのような武器(矛)をも防ぐ万能の盾と、どのような盾であろうが貫き通す強固な矛を同時に売る。中国の故事で言われてきた矛盾の語源です。
盾の規模は、計画設計段階で様々な確率統計のモデルを使って自然災害の規模を想定し、経済合理性の観点から50年に一度起こるか起こらないか、などの発生可能性を仮定値として織り込んで導きだします。
ところが、自然は時として人類の想像を超えた強大な力を持って牙をむき、人類が想定した規模をやすやすと超えてくるパワーで盾を簡単に乗り越えて、大きな災害をもたらすのです。
では、自然災害に対してはどのような対策を講じていくべきなのでしょうか?もともと自治の基本的な考えは、地域住民の生命と財産を守り安心して居住し生活を営んでもらうことを保証することにあります。そのためには自然災害から地域住民の身を守る盾は必要でしょう。しかしどんなに頑強な盾を建設しても、想定以上の自然現象を防ぐことはできないことは歴史が証明しています。想定を超えた災害から身を守るためには盾に頼って安心するのではなく、自然災害はいつでも襲ってくるのだという意識を持つこと、万全の盾は存在しないことと認識する、そして誰かに守ってもらうのではなく最後に自分を守れるのは自分自身だけだという意識を持つことではないでしょうか。つまり個人の意識が防災に向き合うことによってはじめて、真の防災が成立するということです。
想定を超えた自然の猛威(地震、津波、雷、竜巻、暴風、豪雨、地すべり、土砂崩れ・・・)に対しては、最後は逃げるしかないということです。
今回の津波被害が大きかった岩手県釜石市。その中で釜石東中学校と鵜住居小学校は570名の生徒のほとんどが無事だったというある意味「奇跡」を起こしました。その奇跡が起こった最も大きな要因が「甘い予断を許さず、まずは自分が助かろうと率先して逃げる、それが周りの人を巻き込んで助けることになる。勇気をもって最初に逃げる人になるべき」という考えを元に、逃げる訓練を行っていたことにあります。11日の地震の際には、教員が生徒の点呼も行わずにとにかく逃げることを指示し、すぐに避難所に決めていた場所に向かって走りだしました。その数分後には校舎は津波に飲まれたそうです。
今回の震災の津波による被害を受けられた皆さまには申し訳ありませんが誤解を恐れず申し上げると、頑強な防波堤があるから安心という考えで避難が遅れたということは無かったでしょうか?クルマを乗り捨てて逃げるということに躊躇いをもったということはなかったでしょうか?自分が津波に巻き込まれることなどありえない、というような考えを持っていた方はいなかったでしょうか?
そのような盾への盲目的な信頼と、自分だけは大丈夫というような慢心が、被害を大きくしてしまったということも言えるのではないでしょうか?
津波が想定されている地域に居住する人やその地域を訪れる人で、津波が発生するような自然災害が発生することを考えて、自分の逃げる道の確保や逃げ方を考えている人がどれだけいるのでしょうか?
盾を超える自然災害が身近な存在だとすれば、最後の最後は逃げるしかないのです。そのためには、個人が逃げるための準備をしておくことが大事なのです。そして、自治体は盾の整備を行うことと、逃げるためのアシストが出来る準備をしなければなりません。従って、自治体は、早期に全住民が逃げられるように災害情報の伝達のリアルタイム化と、全住民に災害情報が必ず行きわたる仕組みを構築すること、地域住民に防災(逃げる)意識を根付かせるために避難訓練を徹底して繰り返すことです。
自然災害に巻き込まれても生命の安全を確保するためには、災害地点から1秒でも早く、すこしでも遠くに距離をおくこと(少しでも早く逃げる)しかありません、なぜなら万全の盾が常に自分たちを守ってくれるとは限らないのだから。それが今回の震災でもたらされた教訓の一つではないでしょうか。
あなたは自分に降りかかるであろう自然災害を想定できていますか?
自然災害が起こった際に家族の生命と財産を守る方法を用意してありますか?
そしてその災害規模が想定を超えているときにすぐに逃げる方法を持っていますか?
マンデー